諏訪大社とは
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺に鎮座する神社だ。
本宮(ほんみや)、前宮(まえみや)、秋宮(あきみや)、春宮(はるみや)の4社からなる信濃国一宮だ。
諏訪明神は古くから風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神として、また武勇の神として広く信仰され、
現在は生命の根源・生活の源を守る神と崇められております。
日本最古の神社の一つとされる。
創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる[1]。
社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。
諏訪大社 – Wikipedia から引用
春宮
2020年10月22日、宿泊していた上諏訪温泉しんゆを車で出発した。
そこから春宮(はるみや)の駐車場にやってきた。
諏訪大社は本宮 (ほんみや)、前宮 (まえみや)、秋宮 (あきみや)、春宮 (はるみや)の4社からなる信濃国一宮だ。
そのうちの春宮に、まず参拝する。
JR中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約13kmです。社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。
途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。
入口の御影石の大鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
諏訪大社下社春宮 – 諏訪大社公式サイト から引用
先が二又に分かれている結びの杉。
諏訪大社下社春宮の境内に生い立つ杉の木。秋宮の根入りの杉と同様、神社の御神木。
結びの杉(長野県)|るるぶ&more. から引用
神楽殿(かぐらでん)は、1681年頃に造営された。
さっそく最初の御柱(おんばしら)があった。
御柱祭で有名だ。
樹齢150年を優に超えるモミの大木。山の中から、選ばれた16本のモミだけが御柱となり、 里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に諏訪大社の社殿の四隅に建てられます。 宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てる一連の行事を「御柱祭」と呼び、 諏訪地方の6市町村の氏子たちがこぞって参加して行われます。正式名称は「式年造営御柱大祭」です。
重要文化財の幣拝殿(へいはいでん)で参拝する。
万治の石仏
岡本太郎が感嘆したという万治の石仏(まんじのせきぶつ)を見に行く。
明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された・・とされているのがこの石仏です。
説明看板。
お参りに作法があるようだ。
おんばしら館よいさ
おんばしら館よいさに入る。
諏訪大社下社春宮近くに2016年4月25日オープン
「おんばしら館よいさ」は、七年に一度、開催される「御柱祭」に対する諏訪人の思いとその迫力をお楽しみいただける施設です。
入館料:大人/ 300円 子ども(小・中学生)/ 200円
おんばしら館 よいさ||下諏訪観光協会 から引用
ボランティアの方が丁寧に説明してくれる。
なんと御柱祭の体験も出来る。
よいとまけ。
秋宮に向かった。
最高点の標高: 836 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 2534 m
累積標高(下り): -2966 m
総所要時間: 06:47:31