薬王院温泉寺
薬王院温泉寺(やくおういんおんせんじ)は、石川県加賀市山代温泉(いしかわけんかがしやましろおんせん)にある寺だ。
霊峰白山を祀る白山五院の筆頭寺院とされる。
行基(ぎょうき)が創建したと伝わり、1300年の歴史を誇る古刹だ。
今を去る1300年聖武天皇の御代、行基菩薩が、白山登錫の途上霊鳥の指授により、温泉を発見しました。
寺宝には平安時代初期に彫像された十一面観世音菩薩像や鎌倉時代に彫像された不動明王像などを所有し、境内背後の高台には中興の祖とされる明覚上人の供養塔があり国指定重要文化財に指定されています。
薬王院温泉寺|【公式】加賀温泉郷 から引用
薬王院温泉寺
石川県加賀市山代温泉4区18−40甲
0761-76-1155
境内
2022年6月20日、この日は大江戸温泉物語山代温泉山下家(おおえどおんせんものがたりやましろおんせんやましたや)に宿泊していた。
チェックアウトし、車に荷物を積み込んでから、山下家の隣にある薬王院温泉寺(やくおういんおんせんじ)にやってきた。
四国八十八箇所霊場の加賀霊場もあるそうだ。
山号は、霊方山。
院号は、薬王院。
仁王像。
由緒書き。
725年に行基(ぎょうき)が創建したと伝わり、1300年の歴史を誇る。
参拝
本堂。
本尊は薬師瑠璃光如来。
戦国時代に一向一揆や越前朝倉義景の兵火により焼失したが、前田利治により再建され現在に至っている。
お寺だが、菊のご紋が掲げられている。
本堂の先にはアジサイが咲いていて、とてもきれいに整備されている。
本堂の裏に建つのは、泊まっていた山下家だ。
石段に「あいうえお・・・」と書かれている。
温泉寺の初代住職は五十音の創始者だと言われており「あいうえおの小径」と名付けられている。
温泉寺の初代住職(第三世住職とする説もあります) 明覚上人は、古代インドの言葉を研究する学問、悉曇学の第一人者で五十音(あいうえお…)の創始者だと言われています
石段に五十音が記された九谷焼の陶板が一枚ずつはめ込まれている。
萬松園
白山五院の筆頭寺院とされるので、白山遙拝所で参拝する。
この山は萬松園といい、四国八十八箇所霊場のご本尊が祀られている。
山を一周すれば四国八十八箇所霊場を回ったことになる。
しかし我々は本物を回っているので、戻ることにした。
七堂伽藍を建立した明覚上人供養塔堂。
明覚上人は平安時代の僧で五十音の創始者とされ、五輪塔は国の重要文化財に指定されている。
城主「山口玄蕃頭宗永(やまぐちげんばのかみむねなが)、右京修弘(ながひろ)の供養塔。
服部神社
服部神社(はっとりじんじゃ)まで歩いてきた。
服部神社は山代温泉の鎮守とされる。
祭神は、天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)、菊理媛神(くくりひめのかみ)、山代日子命(やましろひこのみこと)
機織の神の天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)を祀るとされています。
927年の書物によるとその時代には大変立派だった社殿も、1552年越前の朝倉義景の戦火にあって社殿を消失しました。 江戸末期には廃絶されていましたが、明治8年、現在の場所に服部神社を再興され、菊理媛神(くくりひめのかみ)をまつる白山神社と合併して郷社となりました。
服部神社|【公式】加賀温泉郷 から引用
手水舎には鳥の石像がある。
石段を下りた先に、まっすぐに参道が続いている。
服部神社の由緒書き。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 65 m
最低点の標高: 31 m
累積標高(上り): 38 m
累積標高(下り): -40 m
総所要時間: 00:20:53