立山博物館とは
富山県立山博物館(とやまけんたてやまはくぶつかん)は、富山県中新川郡立山町芦峅寺(とやまけんなかにいかわぐんたてやままちあしくらじ)にある博物館だ。
立山博物館は、「立山の自然と人間とのかかわり方」をテーマに
展示施設や地域の景観などからなる広域分散型の博物館です。
総面積約13ヘクタールの広大な敷地の中に
展示館、遙望館、まんだら遊苑、布橋、教算坊をはじめとする様々な施設が点在しています。
施設紹介 | 富山県[立山博物館] から引用
富山県[立山博物館]
〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺93−1
076-481-1216
立山の妖怪「くたべ」に会いに行ってみた!立山博物館レポート【旅行VLOG、レビュー】女人禁制!立山信仰の隆盛を支えた芦峅寺33坊の教算坊に入ってみた!江戸時代の庭園は必見!歴史と文化を学ぶ!
公民館
2024年10月9日、この日は雄山神社(おやまじんじゃ)中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)に参拝した。
そこから立山博物館(たてやまはくぶつかん)まで歩いてきた。
隣が公民館だ。
その隣は立山風土記の丘資料館。
駐車場は無料でとても広い。
教算坊
教算坊(きょうさんぼう)に入ってみる。
文化文政年間(1820年頃)に建てられた。
おばあ大好き『無料』
立山博物館の施設の一つで、芦峅寺(あしくらじ)の宿坊だった。
立山博物館は広域分散型博物館を名乗っていて、1km程のエリアに施設が点在している。
正門側から入ってみた。
宿坊だったが明治以降は民家として昭和57年まで旧佐伯邸だった。
芦峅寺(あしくらじ)33坊の1つで、立山信仰の隆盛に伴い諸国から参詣者で賑わった。
庭が素晴らしい。
これは有料クラスですね。
苔の美しい池泉回遊式庭園が広がる。
およそ200年前、江戸時代後期に作庭された。
三千院かと思いました。
イベントスペースとして有料利用できる。
掛け軸が雷鳥。
立山はの女人禁制だったので、木や石に変えられた女性の伝説が残っている。
このあと称名の滝(しょうみょうのたき)に行く予定だ。
庭を見ながらくつろぐおばあ。
曼荼羅(まんだら)があった。
立山の宿坊は立山信仰(立山曼荼羅)の全国への布教拠点でもあった。
立山は、死者の霊が集まる浄土と地獄の山として江戸時代に隆盛を極めた。
赤壁(せきへき)の間。
青碧(せいへき)の間。
立山信仰は神仏習合で江戸時代は芦峅寺(あしくらじ)が「雄山神社 中宮祈願殿」で、中宮寺とも呼ばれていた。
宿坊ではこのような食事が提供されていた。
ブラックラーメンはないでしょうね。
立山博物館
教算坊を出て、立山博物館にやってきた。
残念ながら撮影禁止。
ただし一部のエリアは撮影OK。
立山博物館は広域分散型博物館を名乗っていて、1km程のエリアに施設が点在している。
これが「くたべ」
疫病から逃れられる妖怪で「アマビエ」のような感じだ。
江戸期、各地に疫病流行の予言を伝える不思議な妖怪が出現します。越中立山でも、薬種を堀に来た者の前に現れたクタベが疫病流行を予言し、「自身(クタベ)の姿を見れば、その病の難を逃れることができる」と語ります。そして、見ることができない人々のために、「自身の絵を描いて知らせなさい」と伝えます。“越中立山のクタベ”の、この話を書いた刷物などが残っており、「顔は人、体は獣」というクタベの姿も描かれています。
霊獣くたべ | 富山県[立山博物館] から引用
らせん階段で三階へ。
三階は撮影OKだった。
車で先に進んだ。