西寒多神社/大分市寒田【豊後国一宮】満開の桜を抜けて三韓征伐伝説の地を歩く

西寒多神社

西寒多神社とは

西寒多神社(ささむたじんじゃ)は、大分県大分市寒田(おおいたけんおおいたしそうだ)にある豊後国一宮だ。

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)とこの西寒多神社が豊後国一宮とされている。

祭神は、西寒多大神(ささむたのおおかみ)

西寒多大神は、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)の総称とされる。

由緒・歴史 西寒多神社 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト-旧国幣中社、豊後一ノ宮として広く知られる西寒多神社の由緒は、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の折、西寒多山(現在の本宮山)に行幸して四方の山々を御覧になり、そこに一本の白旗を立ててお帰りになった。その後、人々はそれを敬ってその地に端垣を結び、聖地として崇めるようになり、やがて応神天皇の御代にこの地に宮殿を建立するため朝廷に願い出て、勅許を得た。勅を奉じた武内宿禰は応神九年、豊後国に下向して宮殿の建立に当たった。

由緒・歴史 西寒多神社 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト- から引用

西寒多神社
大分県大分市寒田1644
097-569-4182

西寒多神社/大分市寒田【豊後国一宮】満開の桜を抜けて三韓征伐伝説の地を歩く【旅行VLOG/4K】桜,花筏,本宮山,武内宿禰,神楽殿,鬼の歯形岩,鎮国一宮,扁額,神庫,天神社,大分社,藤棚,萬年橋

駐車場

2022年4月4日、この日は柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)に参拝した。

柞原八幡宮/大分市上八幡【豊後国一宮】回廊から参拝する珍しい形式の社殿
柞原八幡宮は、大分県大分市上八幡三組にある豊後国一宮だ。827年に宇佐八幡より分霊を勧進し、836年に社殿を造営したと伝わる。フェリーを下りて佐賀関から大分市内へ。南大門は1866年に再建され、別名「日暮しの門」と呼ばれている。回廊から参拝する、珍しい形式だ。

そこから車で、西寒多神社(ささむたじんじゃ)にやってきた。

合計距離: 12783 m
最高点の標高: 135 m
最低点の標高: 11 m
累積標高(上り): 235 m
累積標高(下り): -332 m
総所要時間: 00:31:04
Download file: 20220404_大分市1.gpx

桜が満開だ。桜が満開だ

花筏になっている。花筏になっている

神社だと西寒多(ささむた)と読むのに地名だと寒田(そうだ)と読むのでややこしい(苦笑)

参道

西寒多神社(ささむたじんじゃ)の境内に入っていく。西寒多神社 ささむたじんじゃ の境内に入っていく

社殿が見えてきた。社殿が見えてきた

神功皇后が三韓征伐から戻った際に西寒多山(現在の本宮山)に行幸した。

応神天皇の勅許により武内宿禰が宮殿の建立したと伝わる。

神楽殿。神楽殿

鬼の歯形岩と呼ばれる巨石がある。
鬼の歯形岩と呼ばれる巨石がある

鬼が悔しまぎれにかみ砕いた岩だという伝説がある。
鬼が悔しまぎれにかみ砕いた岩だという伝説がある

境内のご案内 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト-その昔、霊山には恐しい鬼が住んでいました。鬼たちは麓に降りてきては村人に悪さばかりしていました。
ある時、天照大御神を祀る巫女の親子が本宮山にやって来て、毎日お祭りをしていました。霊山に住む鬼たちにとって、祭りの音は嫌な音でした。
鬼は親子を取って食おうとしましたが、母親が霊山から本宮山まで、一晩で橋をかけられたら食べられましょうと無理難題の約束をさせました。
ところが鬼たちは、一晩で橋を完成させかけたため、あわてた親子は手ミイを叩き、鶏の鳴きまねをしました。すると鬼たちは朝が来たと思い残念がって歯で石を噛み投げました。
そして鬼たちは霊山から居なくなってしまいました。この歯型石は、その時の石とされています。

境内のご案内 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト- から引用

「鎮国一宮」の扁額。鎮国一宮 の扁額

参拝

本殿。本殿

神庫は1886年の造営。神庫は1886年の造営

奥宮は本宮山にあり、その登山口が遙拝所となっている。奥宮は本宮山にあり その登山口が遙拝所となっている

天神社、大分社に参拝する。天神社 大分社に参拝する

由緒書き。由緒書き

祭神は西寒多大神(ささむたのおおかみ)で、月読尊(つきよみのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)の総称とされる。

神橋の右側は藤棚で、樹齢450年以上、樹高3.5m、幹周2.8mの巨木。

大分市指定名木にも指定されている。

境内のご案内 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト-大分市の名木
■樹高:3m ■樹齢:450年 ■幹周:2.3m
・指令番号 14号(樹木)
・指定年月日 昭和49年2月1日
・指定理由 大分市名木保存条例による

応神天皇9年(413年)武内宿弥が勅命を奉して西寒多山上に宮殿を建立したが、応永15年(1408年)社殿を現地にうつした。
このふじは地区民が社殿に供える御酒の酒造所を建てる時に植えたと伝えられている。

境内のご案内 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト- から引用

神橋は「萬年橋」と呼ばれ、1862年に竣工した。
神橋は 萬年橋 と呼ばれ 1862年に竣工した

境内のご案内 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト-県指定文化財
・指定 昭和55年4月8日
Mnannen Bashi(Stone Bridge)

軽快で美しい弧線を描く、太鼓橋とも呼ばれる石造単アーチ橋です。全長23メートル、幅3.85メートル。11メートルの径間に対してアーチの長さが3.8メートルと低く、アーチと路面の間も狭いのが特徴です。江戸時代末1862年(文久2)、延岡藩寒田村の庄屋佐藤氏らが発起し、大野郡柴生田村(現在の豊後大野市千歳町)の石工後藤氏らによって同年完成しました。

境内のご案内 | 豊後一ノ宮 西寒多神社 -公式サイト- から引用

住吉大社を思い出した。

住吉大社/大阪府大阪市【摂津国一宮】〜丸亀製麺住之江【ランチ】
住吉大社は、大阪府大阪市住吉区住吉にある摂津国一宮で二十二社(中七社)の一つ、全国約2300社余の住吉神社の総本社だ。創建は神功皇后摂政11年(西暦211年)とされる。本宮が4つあり、国宝。「初辰まいり」の楠珺社に参拝し、ランチは丸亀製麺住之江へ。

萬年橋(まんねんばし)は石造単アーチ橋で全長23m。

車で先に進んだ。

大御神社/宮崎県日向市【日向のお伊勢さま】日本最大規模とされる「さざれ石」群〜鵜戸神社〜日知屋城址〜伊勢ヶ浜
大御神社は、宮崎県日向市日知屋にある神社だ。祭神は、天照大御神「日向のお伊勢さま」として知られる。日本最大規模とされる「さざれ石」群がある。龍神の霊〜神座〜展望台〜鵜戸神社〜日知屋城〜伊勢ヶ浜と歩いた。
合計距離: 1257 m
最高点の標高: 53 m
最低点の標高: 38 m
累積標高(上り): 22 m
累積標高(下り): -22 m
総所要時間: 00:20:51
Download file: 20220404_西寒多神社.gpx