極楽橋駅
2022年1月4日、この日は女人堂から京大坂道不動坂を極楽橋駅まで歩いてきた。
極楽橋駅は高野山ケーブルカーと南海電鉄の駅の乗換駅となっている。
大正14年(1925)に始まった高野下駅~極楽橋駅間約10.3キロの線路延長工事は、山岳地帯のため難工事となり、昭和4年(1929)2月にようやく当駅が開業しました(ケーブルカーの開通は翌年6月)。電車のホームとケーブルカー乗り場を結ぶ構内通路は、直下を流れる「不動谷川」に架かる橋の役割も果たしています。駅から川沿いを下っていくと駅名の由来となった「極楽橋」があります。昭和29年(1954)に架け替えられたこの橋を渡って「不動坂」を登り、高野山上の「女人堂」に出ることで、昔の高野詣りの風情を楽しむ方も多くいらっしゃいます。
極楽橋駅|南海電鉄 から引用
極楽橋駅に到着。
南海電鉄高野線は、1929年に完成した路線だ。
次の発車は、14:09各駅停車橋本行きだ。
九度山駅
電車に乗る。
九度山駅に到着。
最高点の標高: 530 m
最低点の標高: 85 m
累積標高(上り): 274 m
累積標高(下り): -716 m
総所要時間: 00:35:50
ホームは真田幸村で埋め尽くされている。
関ヶ原の戦いのあと、敗者となった真田幸村は蟄居を命じられ、ここ九度山に屋敷を構えることになった。
1600年(慶長5年)、天下分け目の関ケ原の合戦で幸村は父とともに西軍に加わり、上田城にあって徳川秀忠の西上を阻止し、秀忠は関ヶ原の戦いに間に合いませんでした。しかし西軍は敗退。昌幸・幸村父子は死罪に処せられるところでしたが、東軍についていた兄信之と本多忠勝の嘆願により、家康から高野山蟄居を命じられます。
これに従って同年10月9日、昌幸・幸村父子は真田家の菩提寺である高野山蓮華定院に身を寄せました。昌幸53才、幸村33才の時のことでした。
高野山蓮華定院に身を寄せて間もなく、妻子との生活を許された昌幸・幸村父子は、その年の冬に庵を九度山に移しました。
幸村について|九度山・真田ミュージアム から引用
町石道のスタート地点の慈尊院も、ここにある。
案内看板でこの2日間歩いてきたルートを再確認。
前日は慈尊院から高野山まで世界遺産の町石道を20kmほど歩いてきた。
長かった・・・
真田の道
真田ミュージアムを目指して、歩き始める。
真田の道というのがあったので、そこを進むことにした。
駅から陸橋を渡る。
真田の道は、どうやら商店街のようだ。
九度山らしい歩いて楽しい町として、
皆様からの愛称募集により名づけられた
商店街「真田のみち」の入口には
「真田のみち」アーチ(東)・スポットライト街路灯(西)、
「柿の街路灯」・「六文銭・柿の間接照明」があります。
また「真田のみち」の電柱には真田幸村・大助・十勇士の
描かれた電柱修景が皆様をお迎えします。
真田のみち から引用
しかしシャッター商店街化してしまっている(苦笑)
対面石(たいめんせき)というのがあった。
弘法大師が母(玉依御前)と対面したところとも又槙尾明神(槙尾山の弁財天)と対面したところとも言われている。
『大師がある日、和泉の槙尾山に参詣しようとして九度山まで来たが」紀ノ川の洪水で渡ることが出来ずこの石のところで休んでいると弁財天が現れ「和泉まで参詣するのが大儀であるからこの九度山の地に移してよかろう」とのお告げにより弁財天を槙尾山(九度山)に祀ることとなったという伝承』
対面石 から引用
真幸地主大神と白龍大神の石碑まで歩いてきた。
その先に、真田古墳が有る。
横穴式古墳だが、以前は真田幸村が大阪城へ入城するために掘ったトンネルだといわれていた。
その昔、真田幸村が徳川家方の監視の眼をかすめて九度山真田庵から大阪城へ入城するために長いトンネルをつくった」といわれていました。本当は横穴式古墳だったそうです。
真田の抜け穴 から引用
蕎麦屋の横を歩いて行く。
真田庵
真田庵(さなだあん)に到着。
真田庵は正式には善名称院(ぜんみょうしょういん)という。
高野山真言宗の寺で、和歌山県の史跡に指定されている。
1741年に大安上人が、真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に、地蔵菩薩を安置した一堂を創建した。
本尊は延命子安地蔵菩薩。
善名称院、真田庵とも呼ばれ、真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺。本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。春にはボタンが咲き乱れ、真田まつりでは武者行列のゴール地点として、賑わいをみせています。
真田庵|九度山町の観光 から引用
関ヶ原の戦いのあと真田昌幸、幸村父子はここに蟄居させられていた。
真田宝物資料館は閉館中のようだ。
真田地主大権現に参拝する。
本尊は毘沙門天で、真田三代の御霊も合祀されている。
入ってきたのと反対側が正面で、山門はこんな感じ。
参拝を終え、先に進む。
真田ミュージアム
真田ミュージアムまで歩いてきた。
ここは、 真田昌幸・幸村・大助(親と子と孫)三代の物語を長く後世へと語り継ぐことを目的とした施設です。
館内案内|九度山・真田ミュージアム から引用
しかし閉館中のようだ。
丹生橋(にゅうばし)を渡る。
この先にある道の駅柿の郷くどやまで、この日は車中泊の予定だ。
最高点の標高: 97 m
最低点の標高: 62 m
累積標高(上り): 55 m
累積標高(下り): -81 m
総所要時間: 01:01:17