熊襲の穴とは
2021年11月14日、この日は鹿児島神宮に参拝した。
そこから車で、熊襲の穴(くまそのあな)にやってきた。
最高点の標高: 55 m
最低点の標高: 6 m
累積標高(上り): 72 m
累積標高(下り): -33 m
総所要時間: 00:20:12
熊襲の穴(くまそのあな)は、鹿児島県霧島市隼人町嘉例川(かごしまけんきりしましはやとちょうかれいがわ)にある洞窟だ。
熊襲(くまそ)族の首領の川上梟帥(カワカミタケル)が住んでいたところで、女装した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に殺されたと伝えられている。
鹿児島県霧島市隼人町嘉例川4381−1
0995-64-0895
駐車場は広いが、国道223号線から入りにくいので要注意。
上り
駐車場から案内看板に従って斜面を登っていく。
210mだというが、結構大変なので覚悟して行くこと(苦笑)
特に最後の階段は、ビックラポン。
ようやく到着。
熊襲隼人(くまそはやと)と呼ばれる部族が住んでいた。
洞窟入口にあるスイッチを自分で操作して、照明をつける必要がある。
洞窟
洞窟入口は、とても低い。
由緒書き。
奥行き22mという、巨大な洞窟だ。
入口は腰を屈めて入るほど低い。
さっそく頭をぶつけた(汗;)
内部は広く、ポップアートが描かれている。
萩原貞行氏の作品だという。
妙見温泉の西側を200mほど登った山腹にある熊襲の穴。古代の南九州にはクマソと呼ばれる人々が住んでいました。クマソは熊のように猛々しく、勇ましい人々であったといわれ、古事記では「熊曽」、日本書紀では「熊襲」と書かれています。熊襲の穴はクマソ族の首領・川上梟帥(カワカミタケル)が住んでいたところで、女装した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に殺されたと伝えられています。入口は狭いものの中は広く、奥行き22m、幅10m、高さ6mの広さがあります。芸術家・萩原貞行氏のモダンアートが描かれており、神秘的な雰囲気が漂っています。入口には、芸術家・竹道久氏政策の作品「神々の想い」があります。
奥行き22m、幅10m、高さ6mの広さがある。
川上梟帥(カワカミタケル)兄弟を殺した日本武尊は、川上梟帥から「タケル」の名をもらったという。
日本書紀よりさらに1200年前からあるという。
帰りの下りも、やはり大変。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 119 m
最低点の標高: 53 m
累積標高(上り): 122 m
累積標高(下り): -106 m
総所要時間: 00:22:51