錦帯橋とは
錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市岩国(やまぐちけんいわくにしいわくに)に架かる橋だ。
1673年に岩国第三代藩主の吉川広嘉が架けたがすぐに流失。
翌年に架け替えられるも、1950年に再び流失する。
1953年に再度、木造の錦帯橋として再建された。
1673年、岩国第三代藩主の吉川広嘉が錦帯橋を架けましたが、残念ながらすぐに流失しました。
しかし改良を加えて翌年再建された錦帯橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまで276年の間、架替えを繰り返しながら威容を保ちました。流失後、鉄筋コンクリートで再建という意見もありましたが、市民の強い要望により、1953年に再度、木造の錦帯橋として再建されました。
【錦帯橋】岩国市公式ホームページ>概要 から引用
5連の木造アーチ橋で、日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。
錦帯橋下河原駐車場
山口県岩国市岩国1丁目5
0827-41-2037
駐車場
2022年4月15日、この日はホテルトレンド岩国に宿泊していた。
そこから車で、錦帯橋下河原駐車場(きんたいきょうしもがわらちゅうしゃじょう)にやってきた。
駐車場はとても広い。
無料なのがうれしい。
最高点の標高: 21 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 32 m
累積標高(下り): -29 m
総所要時間: 00:08:45
河原
全長193.3m、幅員5.0mの大きな橋だ。
日本橋(東京)、眼鏡橋(長崎市)とともに、日本三名橋とされる。
トリニティか。
トリニティがフリーズして会場が総立ちになったあの瞬間、歴史は塗り替わったんだと思います。
無理やりさせられるおじい(苦笑)
錦帯橋
実際に錦帯橋を渡ってみることにした。
本来なら310円の有料なのだが、時間が早く無料で渡ることができた。
通学の生徒が普通に渡っている。
屋形船が見える。
「釘を1本も使わずに造られている」と言われているが、実際には使われているそうだ。
江戸時代は橋を渡れるのは武士や一部の商人だけで、一般の人が渡れるようになるのは明治に入ってからだった。
今の時間帯は観光施設としてではなく、生活の一部として存在している。
反り橋の角度も、なかなかのもの。
住吉大社を思い出した。
下りだと段差が分からない。
つんのめりそうになる。
無料で渡っているので、お金を集めているか気になるおじい。
早起きして良かったね。
以前来た時は桜のシーズンで、川沿いが満開できれいだった。
河川敷
橋を渡り終え、せっかくなので河川敷に下りてみることにした。
桜は散ってしまっていたが、咲いている時はさぞきれいだっただろう。
ずっと桜並木が続いている。
吉香公園
道路に上がると、銅像が建っていた。
まず案内看板でルートを確認。
ここは吉香公園 (きっこうこうえん) といい、旧山口県立岩国高等学校の跡地に造られた公園だ。
旧山口県立岩国高等学校の跡地に造られた大公園。日本歴史公園百選に選ばれました。
中央の大噴水の放水時は、水が大きくアーチ状を連ねて虹をかけることも。
公園内は芝生や木陰、ベンチで休憩・昼食などくつろげ、市民の憩いの場となっています。
随所に作られた花壇で、四季折り折りの花が咲き乱れ、秋は銀杏の大木が黄金色に染まります。
吉川氏の居館跡(吉香神社境内)も公園化されており岩国市の登録有形文化財の錦雲閣、岩国出身の旧帝國軍音楽隊長であり作曲家の田中穂積(たなかほづみ)像と、穂積が作曲した名曲「美しき天然」の歌碑などがあります。
佐々木小次郎の銅像があった。
吉川英治は小説「宮本武蔵」の中で、「佐々木小次郎が、錦帯橋畔で柳の枝が燕を打つのを見て「燕返し」の術を得た」と、岩国に来て自ら創作したという。
「佐々木小次郎」は、安土桃山時代~江戸時代初期にかけて、「巌流」と称し活躍した剣豪で、小倉藩主であった細川忠興に仕えた人物です。慶長17(1612)年に現在の山口県下関市にある船島、いわゆる「巌流島」にて宮本武蔵と勝負し敗れたことで知られ、物干竿と言われた長尺な太刀を振るい、「燕返し」の秘剣を生み出したことでも知られています。
すてきな公園だ。
鵜の飼育施設があるそうだ。
岩国城ロープウェーが見える。
吉香公園前の山麓駅から、標高約200メートルの城山の尾根の山頂駅までを約3分で結びます。
吉香公園、錦川と錦帯橋、旧城下町から、遠くは岩国錦帯橋空港、瀬戸内海の島々までの眺望が楽しめます。移動中は定員30名のゴンドラ内で、音声ガイドで簡単に岩国の歴史を紹介しています。
吉香牡丹園。
帰路
錦城橋(きんじょうばし)を渡る。
橋の上から、錦帯橋を一望できる。
河原に下りる。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 11 m
最低点の標高: 9 m
累積標高(上り): 2 m
累積標高(下り): -2 m
総所要時間: 00:32:13