山村代官屋敷とは
山村代官屋敷(やまむらだいかんやしき)は、長野県木曽郡木曽町福島(ながのけんきそぐんきそまちふくしま)に残る木曾代官所の建物だ。
山村家は、江戸時代を通じて木曽谷の支配と福島関所の関守を世襲し、かつては広大な邸宅を構えていました。現在は、享保年間以降に再建された下屋敷の一部と、築山泉水式の庭園が残り、山村家ゆかりの書画や調度品、復元された饗応料理のレプリカが展示されています。
また、山村家の儒臣であった石作駒石の書斎「翠山楼」を移築し、公開しています。
山村代官屋敷 – 木曽町公式サイト から引用
山村代官屋敷
〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島5808番地1
0264-22-3003
木曽の歴史の秘密に迫る!山村代官屋敷/長野県木曽町【旅行VLOG、レビュー】274年間木曽谷を支配し関所を守ってきた山村氏とは?広大な屋敷跡に現存する翠山楼や庭園を見られる!名君「山村蘇門」
入口
2024年4月17日、この日は木曽駒高原から旧中山道を通って、山村代官屋敷(やまむらだいかんやしき)まで歩いてきた。
山村氏は、木曽氏の重臣として活躍した。
関ヶ原に向かう徳川秀忠の先鋒を務めたことで、木曽谷の支配を任せられた。
明治2年までの274年間木曽谷を支配し、関所を守ってきた。
その権力は強大で、屋敷は庭園が20ある豪壮を極めた物だった。
隣接する福島小学校も、元は屋敷だったという。
日本遺産に指定されている。
入るとすぐ、稲荷の祠がある。
入館料は300円。
木曽町有形文化財に指定されている。
館内
館内は撮影OKなのがうれしい。
火災で焼失したため、1723年に再建された。
財政再建や文化振興に力を尽くした9代目当主の山村蘇門(やまむらそもん)の説明。
江戸期に木曽谷を治め、中山道・福島関所を守った尾張藩木曽代官山村家の9代目当主で、財政再建や文化振興に力を尽くした山村蘇門公(本名・良由、1742~1823)の没後200年を迎えた今秋、代官屋敷のある木曽町福島を中心に顕彰事業が繰り広げられる。
山村蘇門公を知ろう 木曽代官の名君 没後200年 木曽町 顕彰展へのぼり旗掲げ 福島中心街 代官屋敷で28日から | 地域の話題 | 株式会社市民タイムス から引用
見事な庭園がある。
料理に伊勢海老があるのは尾張藩だから?
翠山楼
翠山楼(すいざんろう)に入ってみる。
漢学者の石作駒石(いしづくりくせき)の書斎を移築した。
1788年に建てられた。
書院造り。
ここで昼寝したら気持ちよさそう。
看雨山房(かんうさんぼう)は12代・山村良祺(たかのり)の書斎だった。
日本各地の文人墨客の書画が貼り付けられている。
大手橋
大手橋(おうてばし)まで歩いてきた。
鉄筋コンクリートローゼ橋としては世界初だそうだ。
土木遺産に指定されている。
先に進んだ。
最高点の標高: 932 m
最低点の標高: 757 m
累積標高(上り): 206 m
累積標高(下り): -377 m
総所要時間: 03:33:09