越前和紙の里とは
越前和紙の里(えちぜんわしのさと)は福井県越前市(ふくいけんえちぜんし)にあるエリアだ。
日本三大和紙のひとつとされ「パピルス館」、「卯立の工芸館」、「紙の文化博物館」が設置されている。
越前和紙の里には「パピルス館」、「卯立の工芸館」、「紙の文化博物館」があり、
様々な角度から越前和紙にふれることができます。
越前和紙の里
〒915-0232 福井県越前市新在家町8−44
0778-42-1363
日本一複雑な屋根?!【福井県観光】越前和紙の里を歩いてみた!紙の神様を祀る神社と1500年の歴史を辿る!【旅行VLOG、レビュー】日本三大和紙の里!美術館で浮世絵を見て工房でアート制作現場の見学も!
駐車場
2025年7月19日、この日は福井県鯖江市(ふくいけんさばえし)にあるかわだ温泉 ラポーゼ かわだに宿泊していた。

チェックアウトして車で県道2号線を越前市方面に走る。
越前和紙の里(えちぜんわしのさと)にやってきた。
駐車場はとても広い。
越前和紙の里 駐車場
〒915-0232 福井県越前市新在家町
卯立の工芸館
まず案内看板でルートを確認。
美術館とか博物館が開くのが9時半からです。
ここら辺ぐらいまで歩いてここまで15分。
引き返してきて見学して。
これが和紙の里通り。
平成5年に「手づくり郷土(ふるさと)賞」を受賞した。
■越前市
受賞年度 案件名(テーマ・部門名)
H5 和紙の里通り (ふるさとの風景にとけこむ道)
福井県受賞一覧 – 国土交通省 から引用
駐車場から歩いて行く。
電柱を地中化してすっきりした街並みだ。
このパピルス館ていうのは(紙漉きの)体験ができるっていう施設。
これはお土産物屋さん。
越前和紙は日本三大和紙のひとつとされる。
×加賀和紙
〇越前和紙
分かっていないおじい。
日本三大和紙とは、越前和紙(福井県)、美濃和紙(岐阜県)、土佐和紙(高知県)の3つ。
高知の人間としては他の2つも見ておきたい。
おばあは製紙工場の娘だ。
卯立の工芸館まで歩いてきた。
紙漉きをしていた旧西野家住宅を移築した。
卯立の工芸館は、越前市定友町で紙漉きを生業としていた西野平右衛門家を平成8年~9年に移築・改修したもので、創建は江戸中期寛延元年(1748)と伝えられています。
この建物は妻入り卯立を立ち上げた和紙の里・五箇地区に残存する紙漉き家屋の典型的な構造・間取りであり、文化財的な建物としても貴重なものです。
正に「うだつを上げた」という言葉そのものを感じとることのできる風格ある建物であり、紙漉き家の誇りと心意気を示すものといえます。
噴水は出ていなかった。
和紙の里だからね水が豊かなところじゃないと。
紙の文化博物館、越前和紙の里美術館はあとから行くことにした。
成願寺
なかなか古そうなお宅の街並みですね。
郵便局もそれっぽい建物になっています。
凄い大豪邸だね。
成願寺(じょうがんじ)にやってきた。
成願寺
〒915-0233 福井県越前市岩本町15−4
0778-42-1347
時宗のお寺だそうです。
成願寺は福井県越前市岩本町に境内を構えている時宗の寺院です。成願寺の創建は延暦年間(782~806年)に開山したのが始まりと伝えられています。
成願寺(越前市) から引用
本尊は阿弥陀如来。
天正2年(1574)の一向一揆の兵火により多くの堂宇が焼失し一時衰退した。
その後に小丸城主となった佐々成政が再興した。
六体地蔵。
由緒書き。
石本山壽命院成願寺という。
延暦年間(782~806年)の開創という古刹だ。
正応3年(1290)連阿澄心によって時宗に改宗した。
永仁2年(1294)に現在地に移った。
山号は石本山。
立派な松があります。
本堂は天明7年(1787)に造営された。
佐々成政は自らの菩提寺とした。
観音堂は貞享2年(1685)に造営された。
綴りの家
先に進む。
こっちも古い街並みや。
最近は地方都市は寂れているところが多い。
ここは至る所で工事をしていて活気を感じる。
お地蔵様があるけれど普通の方のお宅のようですね。
綴り(つづり)の家。
大正初期に製紙業を営む吉田家の住宅となった。
国登録有形文化財に指定されている。
越前和紙産地「五箇」にある、和紙の商いで栄えた小林家の分家の一つである東小林家が建てた住宅であり、大正初期に製紙業 吉田家の住宅となりました。
和紙で栄えた地域である「五箇」の歴史を伝える貴重な住宅であり、国登録 有形文化財に指定され、「綴の家(つづりのいえ)」として一般公開されています。
紙幣関係の貴重な品も展示されています。
綴の家 (吉田家住宅/旧東小林家住宅)|スポット・体験|福いろ|福井市公式観光サイト 名所/グルメ/お土産/イベント から引用
安政6年に広瀬 旭荘(ひろせ ぎょくそう)が宿泊したそうだ。
広瀬 旭荘(ひろせ ぎょくそう、文化4年5月17日(1807年6月22日) – 文久3年8月17日(1863年9月29日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。
広瀬旭荘 – Wikipedia から引用
秩父宮殿下がお成りになったそうだ。
奥の院はやめる(暑すぎる)
岡太神社
河濯山祭り(かわそさんまつり)は府中2代目領主の本多昌長が再興した河濯山芳春寺の法要。
府中2代目領主の本多昌長が再興した河濯山芳春寺の法要。毎年7月30日から8月1日に営まれる。かつては見せ物小屋の興行もあった。今も夜店が並び、夕涼みを兼ねた参拝者が繰り出す。越前市高瀬5丁目。
岡太神社から大徳山の登山道が整備されている。
大徳山(だいとくざん)は「お峰」とも呼ばれ泰澄が開いた白山に次ぐ霊山だった。
山頂には大瀧城本丸跡がある。
大瀧神社(おおたきじんじゃ)岡太神社(おかもとじんじゃ)にやってきた。
岡太神社・大瀧神社
〒915-0234 福井県越前市大滝町13−1
0778-42-1151
紙の神様である川上御前が祀られている。
「延喜式神名帳」927年)にも記載されている古社。
大徳山(だいとくざん)に奥の院がある。
里宮の本殿と拝殿は江戸時代後期のもの。
今から千五百年ほど前、継体天皇が越前におられ男大迹皇子と呼ばれていたころ、この村里の岡太川の上流に美しい姫が現れた。
そして「この地は清らかな水に恵まれているから、この水で紙漉きをして生計を立てよ」と、里の人に紙漉きの技を教えたという。
この姫を「川上御前」とあがめ奉り、岡太神社を建ててお祀りした。
権現山(標高326m)がご神体。
山頂付近に大瀧神社(おおたきじんじゃ)岡太神社(おかもとじんじゃ)の社殿がある。
ここは里宮。
719年に泰澄が大徳山を開いた。
川上御前を守護神として祀った。
泰澄は白山信仰の開祖。
社殿は天保14年(1843)に建立されたもので、「日本一複雑な屋根」を持つと言われている。
「日本一複雑な屋根」を持ち、紙祖神「川上御前」を祀る
越前松平家の信奉が篤かった。
地元の方が説明してくれた。
ずっと回廊になっているんですね。
江戸時代後期を代表する建物とされる。
国の重要文化財に指定されている。
唐破風と千鳥破風のそれぞれの屋根が連続する神社本殿としては最も複雑な屋根形態を持つ建物。
よく見ると一番奥にある千鳥破風の頂点が左に少しずれている。「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という思想から、わざと不完全な形にしたという
歴史があるってことだね。
NHKの大河ドラマ「光る君へ」で越前和紙がたくさん出てきた。
手抜き無し。
十一面観音堂。
木造十一面観音座像が納められている。
本尊は平安時代のもので神仏習合時代の名残だ。
参拝を終え町を歩いて行く。
岩本神社にやってきた。
もともとは白山宮で岩本村の総鎮守だった。
薬師堂の末社だった。
大鳥居。
こっちから本来なら来なきゃいけなかった。
なかなか立派な神社でした。
さっきの石碑は横山大観の作。
柳瀬良三製紙所
RYOZOののれんが掛かった建物があった。
柳瀬良三製紙所という製紙工場。
千五百年以上の歴史伝統のある
越前和紙に生まれた栁瀨良三製紙所。
創業者良三の持つ「優しさ・厳しさ・頑固さ」
独特の技術工法の紙を皆様に
触れて知っていただきたく
工房をオープンな場所にしました。
先代から伝わるRYOZOの和紙は
とてもしなやかで
女性らしい風合いが特徴です。
日々のくらしに取り込んで頂き、
手で触れて頂けることを願っています。
柳瀬良三製紙所 RYOZO paper mill
〒915-0234 福井県越前市大滝町10−1
0778-42-1155
見学させてくれた。
ステンドガラスみたい。
金沢の職人さんと和傘を作っているそうだ。
越前市は高級手すき和紙の産地として日本一のシェアを誇る。
五つの集落を総称して五箇(ごか)地区と呼び、和紙業者が軒を並べている。
和モダンっていう感じ。
越前和紙の里美術館
越前和紙の里美術館に戻ってきた。
暑いんで早く冷房のあるところに入りたい。
福井銀行岡本支店をリニューアルした。
外観はまるで銀行そのまま。
越前和紙の里美術館
〒915-0232 福井県越前市新在家町11−13−1
0778-43-5975
撮影OK。
ただし展示品は撮影禁止。
浮世絵を展示していた。
大河ドラマで蔦屋重三郎をやっているからだろう。
隣が紙の文化博物館。
ここは行かないよ。
共通券で入れないので(苦笑)
和紙の里通りに戻ってきた。
車で先に進んだ。