一里塚
2024年10月13日、この日は小野宿(おのじゅく)を歩いた。
国道153号線から県道254号線に入る。
初期中山道一里塚にやってきた。
初期中山道と一里塚
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野
険しすぎる!牛首峠を超えて【中山道】初期中山道の小野宿を行く!【旅行VLOG、レビュー】江戸時代に付け替えられた幻の街道!擦れ違い困難な『険道』が続く!縁結びの伝説が残るお玉ヶ池とは?
中山道は当初は小野宿を通って贄川宿(にえかわじゅく)に通ずるルートだった。
江戸時代に塩尻宿を通るルートにつけかえられた。
新しく洗馬宿(せばじゅく)と本山宿(もとやまじゅく)が整備された。
これにより中山道はここを通らなくなった。
石碑があるが、雑草が生い茂って行けなくなっていた(汗;)
これから使われなくなった初期中山道を通って贄川宿(にえかわじゅく)に行ってみることにした。
石塔群
石塔群にやってきた。
石塔群
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野3647
多くの石碑があるのは中山道だった名残だろう。
初期中山道を定めたのは総奉行大久保長安。
木曽へ伊那の米を入れるかわりに、木曽の木材を直接江戸へ送ることにねらいがあったようだ。
江戸から六十里の一里塚
道幅がさらに狭くなった。
擦れ違い困難。
江戸から六十里の一里塚にやってきた。
江戸から六十里の一里塚
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野
牛首峠
牛首峠(うしくびとうげ)にやってきた。
牛首峠
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野
昔、長者ヶ平の屋敷に住む娘が若い僧と恋仲になり、底無し沼に身を投じて命を落とした。
それがお玉ヶ池。
それ以来、お供していた牛が暴れるようになったため、その首を落とし峠の中腹に葬った、と
いうのがこの峠の由来といわれている。
カエル館
ここから下っていく。
カエル館に出てきた。
カエル館
〒399-6461 長野県塩尻市宗賀5956−1
0263-30-8363
険しすぎて、高知の悪路に慣れているおじいも二度と通らないと誓った(苦笑)