箕越猫祠社とは
箕越猫祠社(みのこしねこしゃし)は、高知県須崎市多ノ郷乙(すさきしおおのごうおつ)にある神社だ。
祠社(しゃし)とはあまり聞かないが、社(やしろ)と同じ意味らしい。
ヤシロとホコラ。ともに神をまつる殿舎のこと。また,土地の神,その地を支配する神のこと。后土(こうど)と同様の意でも用いられる。ヤシロとは,本来屋代(やしろ)すなわちミヤ(御屋),宮殿に対してそのかわりの斎庭(ゆにわ),斎場のことで,地を祓い清めただけの場のこと,またそれより少し進んでわずかに人家の形をしたのみの建物のことをいい,のち社の字をあて,神をまつる殿舎をいうようになったものとみられている。ホコラはホクラ(神庫,宝庫,宝蔵)より転じた語で,神をまつる殿舎のこと。
猫神社として知られ、祭神は猫神(ねこがみ)
江戸時代に名野川村にいた猫が祀られている。
この珍しい名前の神社には、次のような猫にまつわる伝説が残されている。
江戸時代の中頃のこと。名野川村(現在の仁淀川町名野川)の寺に一匹の赤毛の大猫が住み着いていた。この猫が大層ないたずら好きで、夜な夜な和尚の袈裟を持ち去り、それを着て僧に化けると踊っていたという。しかしそれがばれてしまい、和尚に追い出されてしまった。結局、この大猫は最後にこの須崎の箕越にやって来て、そこを安住の地としたのである。
その後、和尚の夢枕に大猫が現れ、世話になったお礼に寺のために役立つことをしようと告げた。しばらくすると、佐川領主の深尾氏の家に不幸があり、出棺の折に棺が動かせなくなるという騒動が起こった。そこで和尚が祈祷すると軽々と動き出したため、大いに面目を施すことになったという。
猫神社のご利益は、諸病平癒。特に婦人病や脳病、さらには喘息にも効験があるとされる。そして近年、祈願成就を果たすと招き猫を祠に納める風習が始まり、さらに、先に納められた招き猫をいただいて帰るようになったという。そのため祠には数多くの招き猫の像が所狭しと置かれていた時期があったらしい(現在は招き猫の像をほとんど見ることはない)。
猫神社 | 日本伝承大鑑から引用
社は2011年に建て替えられた。
以前の社は、このような感じ。
以前は猫の置物が社を埋め尽くしていた。
ほこらの扉を開けると…。えっ、招き猫がいっぱい? 須崎市箕越(みのこし)地区に猫神様を祭った「猫神社」がある。
建て替えて以来、猫の置物を放置しないように運営するようになったようだ。
おやしろと鳥居は2011年に建て替えられています。
津波の影響で壊れたわけではなく、古くなったため賽銭と良心的な大工さんの手によってきれいになったとのこと。以前は扉を開けるとたくさんの招き猫が奉納されていました。というのも、以前は団体客や多くの人が猫への祈願のためによく奉納していたから。しかしおやしろ自体が小さく、毎年奉納された招き猫を供養として処分しなければならなかったのです。なので、以前は自分が気に入った招き猫を頂いて帰ってもよいということにしていたのだそうです。
おやしろが新しくなってからは数体が残るのみ。近所の女性が掃除や水やりなど毎日欠かさず行っているといいます。
須崎市「箕越猫祠社」(猫神社)から引用
持ち帰りできるというのも、少し驚きだ。
駐車場
この日は須崎市でランチを済ませた。
食後、車で箕越猫祠社に向かう。
海沿いの道を走る。
すると、程なく到着だ。
箕越猫祠社には駐車場がないので、社の手前の広くなったところに車を停める。
ここは海の眺めが素晴らしい場所だ。
参拝
社殿は、2011年に建て替えられておりまだ新しい。
小さな社だ。
扁額は古そうなので、以前からのものを使っているようだ。
内部はこんな感じ。
今どきっぽく、燈明も電池式になったようだ。
社のそばに、石仏があった。
七十三番、七十四番と書かれているので、札所巡りだろうか。
感想
前回参拝したのは2010年なので、9年ぶりに参拝した。
その時とは社も新しくなり朱塗りだった鳥居も様変わりしていた。
溢れるほどだった猫の置物もほとんどなくなり、少し寂しい。
管理が大変なのは分かるが、もう少しうまく調整できないものだろうか。
観光名所としても活用できそうに思うのだが。