龍光寺
2021年10月13日、この日は道の駅きつれがわで車中泊していた。
そこから車で、龍光寺(りゅうこうじ)の駐車場にやってきた。
最高点の標高: 133 m
最低点の標高: 129 m
累積標高(上り): 6 m
累積標高(下り): -4 m
総所要時間: 01:43:01
駐車場は思いがけず広い。
六体地蔵がある。
朱塗りの山門をくぐる。
慈雲山龍光寺(しうんざんりゅうこうじ)は臨済宗円覚寺派の寺で、本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)
足利尊氏の開基により創建されたと伝えられる。
喜連川足利氏の歴代藩主の菩提寺だった。
喜連川足利氏初代、2代の父である頼純の法名「龍光院殿」が寺の名前になりました。喜連川足利氏歴代藩主の菩提寺で、ここにある足利尊氏公木像は市指定文化財です。
龍光寺 – さくら市ホームページ から引用
明治の廃仏毀釈で廃寺になった臨川寺にあった恵心僧都(えしんそうず)作と伝わる十一面観世音菩薩が、本堂に安置されている。
平安中期の天台宗の僧。比叡山横川の恵心院に住したことから恵心僧都とも呼ばれている。9歳で比叡山に入山し、良源を師と仰いで、13歳で出家、叡山の僧となる。たいへん多くの著述を残しているが、なかでも44歳の時に著した『往生要集』は、鎌倉浄土教発生の基礎として、当時から広く読まれた。彼以後、浄土思想が盛んになるなど、平安期の浄土信仰・芸術に影響をもたらした。 阿日寺は、恵心僧都の誕生の地と伝えられている。
恵心僧都(源信) から引用
御用堀
1844年に整備された御用堀(ごようぼり)
御用堀というのは喜連川足利氏の第10代煕氏(ひろうじ)が町中の防火と用水のために開削した物である。
喜連川足利氏第10代煕氏の命で1844(弘化1)年防火と農業用水確保を目的に整備されました。
御用堀 – さくら市ホームページ から引用
用水として現役で頑張っています。
津和野のような感じだね。
しかし鯉はいないようです。
ちゃんとベンチが設置されています。
喜連川神社
喜連川神社(きつれがわじんじゃ)の駐車場まで歩いてきた。
鳥居をくぐる。
社務所の横に、歌碑がある。
若山牧水と親交が深かった喜連川出身の高塩背山(たかしおはいざん)は喜連川神社神職で、若山牧水が背山宅を訪ねて宿泊した時に詠んだ歌の歌碑だという。
時をおき老樹の雫おつるごとしづけき酒は朝にこそあれ高塩背山兄の許に宿れる翌朝
喜連川神社〜若山牧水の歌碑〜 から引用
長い石段を上る。
拝殿。
喜連川神社の祭神は、速須佐之男命(スサノオノミコト)、櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)
速須佐之男命(スサノオノミコト)と櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)の二柱を祭神とし、永禄6年(1563年)に創建された。
時の城主塩谷惟広が命じて、尾張の国、津嶋神社の分霊を城山の南面山腹にお祀りしたのが本社の始まりである。
例大祭は天王祭といい、その神輿渡御は暴れ神輿として近郷近在で有名である。
どうやらこちら側が表参道のようだ。
内部はこんな感じ。
由緒書きは読めなくなっていた(汗;)
1563年の創建で、城主塩谷惟広が命じて、尾張の国、津嶋神社の分霊を城山の南面山腹にお祀りしたのが本社の始まりとされる。
伯耆禰神社(ほうきねじんじゃ)に参拝する。
祭神は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
祭神:天忍穂耳命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字喜連川
喜連川神社の東参道から最初の石段を上がった境内地の右手に鎮座。
さくら市喜連川の喜連川神社・伯耆祢神社 から引用
2本の欅のご神木は、樹齢約300年、幹周り4.6m、高さ30m。
大手門
大手門まで歩いてきた。
喜連川足利氏の館があった場所で、現在はさくら市役所喜連川支社になっている。
喜連川足利氏館跡です。現在は、さくら市役所喜連川支所となっています。
大手門 – さくら市ホームページ から引用
新しそうだと思ったら、平成3年に建てられたものだという。
由緒書き。
その奥が、お丸山公園。
喜連川塩谷氏の大蔵ヶ崎城址で1590年に廃城となり、現在は展望タワーが建っている。
大蔵ヶ崎城は中世の時代に、この地を治めた喜連川塩谷氏の城で、天正十八(1590)年に廃城しました。そのため、深い堀切や大小の平場が今も残っています。現在はお丸山公園と言われており、喜連川支所側の散策路を巡ることが出来ます。
お丸山公園 – 栃木県さくら市観光ナビ から引用
笹屋別邸
笹屋別邸(ささやべってい)まで歩いてきた。
笹屋別邸は大正末期から昭和初期にかけて地元の呉服店の別邸として建築された物で、現在は地域の活性化の拠点として活用されているという。
喜連川公方家老渋川家の邸宅でした。
さくら市喜連川にある笹屋別邸は、大正末期から昭和初期にかけて建築され、もともとは地元の呉服店の別邸として、また客人をおもてなしするために使われていた場所です。秋になると、風情のある庭園が紅葉に染まり、大変美しい姿を見せています。
笹屋別邸 – 栃木県さくら市観光ナビ から引用
レストラン&Bar 「P’s」
レストラン&Bar 「P’s」にやってきた。
”食” と”健康”を提案する「㈱藤源商店」です。
大・中・小宴会承り中!!
女性に嬉しいメニュー充実!!!ご来店お待ちしております。
ランチメニューはこんな感じ。
店内はウッディーな感じで、なかなかオシャレだ。
カウンターにはお酒のビンが並び、アメリカンなバーになっている。
薪ストーブが設置されていた。
ローマの休日?
トイレはとてもきれいだ。
デザートはジェラートだって。
メニューはこんな感じ。
夕飯にも使えそうな品揃えだ。
まずスープが来た。
タマネギとベーコンの香りがおいしい。
サラダはかなりてんこ盛り。
ツレは煮込みハンバーグ。
なかなかおいしそう。
ビーフの味がしっかりして
チーズもかかっていておいしい。
俺はハラミステーキ。
上に大根おろしがかかっているのが、おもしろい。
おいしいです、柔らかい。
デザートのジェラートはこんな感じ。
ほのかに栗のほっこりした感触は感じられる。
ツブツブが入ってますね。
濃厚な感じ。
街の駅本陣
食事を終えて、町を歩いて行く。
街の駅本陣まで歩いてきた。
この建物は大正時代に建てられた喜連川警察署だ。
「街の駅本陣」は大正15年に建築された元喜連川警察署の建物で、大正期の警察庁舎で現存するものは全国に数カ所しかないという貴重な建物です
平成16年4月に中心市街地活性化のためにリニューアルし、店舗と多目的コミュニティールームをオープンしました。
街の駅本陣 – さくら市ホームページ から引用
ここに突抜井戸がある。
自噴井で、このあたりは地下40m前後まで掘ると豊富できれいな水が湧き出るという。
そんな街の駅本陣前には、「突抜井戸」があります。
固い層に挟まれた水の力を使って水を湧き出させる珍しい自噴井です。
この付近では、地下40m前後まで掘ると豊富できれいな水が湧き出るようです。
ここは喜連川宿脇本陣跡でもある。
慈光寺
慈光寺まで歩いてきた。
喜連山歓喜院慈光寺(きつれさんかんきいんじこうじ)は栃木県さくら市喜連川にある真言宗智山派の寺だ。
境内の右側に喜連川足利氏に関する御坊権現という伝説を持つ、向きの違う小堂があります。左手の手水鉢は突き抜き井戸の工法が用いられています。
慈光寺 – さくら市ホームページ から引用
創建は時期は不詳だが、日譽上人によって開山されたと伝えられる。
日誉(にちよ、弘治2年(1556年) – 寛永17年11月20日(1641年1月1日))は、江戸時代の真言宗の僧侶である。
日誉 – Wikipedia から引用
本尊は不動明王(ふどうみょうおう)
北関東三十六不動尊霊場の二十一番札所で、 雨乞い不動尊として崇拝されている。
その後、慈光寺第十二世尊賀(権大僧都)が、宝暦四年(1754)、二夜一昼雨乞いの法を修し、効験有りて領主足利家より十六善神画像を拝領。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 150 m
最低点の標高: 113 m
累積標高(上り): 134 m
累積標高(下り): -117 m
総所要時間: 01:33:48