北条の里駐車場
2023年1月6日、この日は弘法の湯長岡店に宿泊していた。
そこから車で、北条の里駐車場にやってきた。
北条の里駐車場は、静岡県伊豆の国市寺家(しずおかけんいずのくにしじけ)にある無料駐車場だ。
北条の里駐車場
静岡県伊豆の国市寺家130−6
最高点の標高: 19 m
最低点の標高: 11 m
累積標高(上り): 5 m
累積標高(下り): -10 m
総所要時間: 00:08:31
まず案内看板でルートを確認。
光照寺
光照寺(こうしょうじ)にやってきた。
ここには源頼朝の子、2代将軍源頼家ゆかりの「病相の面」がある。
伊豆の国市にある光照寺には、源頼朝の子、源頼家ゆかりの「病相の面」があります。
修善寺に幽閉された頼家の様子を、母政子に知らせるために製作されたと言い伝えられています。
「病相の面」は非公開。
伝堀越御所跡
伝堀越御所跡(でんほりごえごしょあと)まで歩いてきた。
足利政知の御所があったと伝えられる。
国の史跡に指定されている。
伝堀越御所跡は「堀越公方」と呼ばれた足利政知の御所があったと伝えられる場所です。
伊豆の国市/史跡伝堀越御所跡 から引用
北条政子産湯之井戸
ここを入ったところに、北条政子産湯之井戸がある。
源頼朝の妻・政子は北条時政の長女として1157(保元2)年、この地に誕生しました。その時に産湯の水を とったのが、この井戸と伝えられています。この井戸の水は北条政子の伝承から、かつてはこの水を飲むと安産になるという信仰があったそうです。
北条政子(ほうじょう まさこ)は尼将軍(あましょうぐん)と称された。
民家の石垣の前に、井戸がある。
日本三大悪女の1人にも数えられるが、それだけ存在感が大きかったと言うことだろう。
信光寺
信光寺(しんこうじ)にやってきた。
本尊は十一面観世音菩薩。
甲斐源氏の第五代当主武田信光(たけだ のぶみつ)の開基。
その名前から「信光寺」と名付けられた。
武田信玄の14代前にあたる。
本堂内部はこんな感じ。
眞珠院
眞珠院(しんじゅいん)まで歩いてきた。
鎌倉初期、源頼朝との悲恋に身を割かれ、真珠ヶ淵に入水した伊東祐親の娘「八重姫」をまつる寺。
「せめて我が身を投じて、将来共末長く不幸な女人たちの守護神となりましょう…。」と、那木の一枝を取り、身を投じたと言い伝えられている。
今日に至るまで女性の守り神、パワースポットとして、里人の信仰を集めている。八重姫は北条義時の叔母にあたる。
眞珠院 | 伊豆の国市観光協会 から引用
源頼朝と別れた八重姫が祀られている。
真珠ヶ淵に入水して死んだ。
「鎌倉殿の13人」では子供を助けようとして水死したことになっていたが、この説明では悲恋を嘆いて入水自殺したと書かれていた。
八重姫御堂。
入水する際に那木の一枝を取ったことから、那木は愛のお守りとされている。
「梯子があれば助けられたのに」という思いから、梯子供養が習わしとなっている。
眞珠院本堂。
本尊は釈迦如来。
願成就院
願成就院(がんじょうじゅいん)にやってきた。
運慶(うんけい)作の仏像は、国宝に指定されている。
当山は、山号を「天守君山」と称し、阿彌陀如来を本尊とする高野山真言宗の寺であります。創建は、鎌倉時代初頭の文治五年(1189)に遡ります。この地で源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権で北條政子の父、北條時政公が建立し「願成就院」と称したことに始まります。
北條時政(ほうじょうときまさ)の墓所がある。
願成就院の由緒書き。
文治五年(1189)に北條時政により造営された。
まず北條時政の墓に向かう。
最近整備し直したようだ。
運慶だから。
残念ながら、内部は撮影禁止。
拝観料は700円。
思ったよりも小さかったですね。
平家滅亡から一年後の1186年(文治二年)、三十代中頃の運慶による東国での最初の造像で、鎌倉新様式が確立したことを示す、日本の仏像彫刻史上大きな意義のある五仏であります。青年仏師運慶の卓抜した群像表現と心の昂りが伝わってきます。
リアルな石仏が並んでいる。
足利茶々丸(堀越御所二代公方)の墓所がある。
守山八幡宮
守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)まで歩いてきた。
平家追討の令旨を受け取った頼朝は、ここに参拝したとされる。
源氏の守護神・八幡神を祀る社で、1180(治承4)年4月27日に高倉宮以仁王から平家追討の令旨を受け取った頼朝は、開く前に守山八幡宮を遙拜したといいます。
守山八幡宮 | 伊豆の国市観光協会 から引用
史跡の碑。
遙拝殿があるが、本殿は142段の石段の先にあるので今回はパス(苦笑)
車で先に進んだ。
最高点の標高: 25 m
最低点の標高: 11 m
累積標高(上り): 30 m
累積標高(下り): -30 m
総所要時間: 01:23:28