松山市駅
2023年5月20日、前日は黒潮亭(くろしおてい)で飲んだ。
宿泊していたコンフォートホテル松山をチェックアウト。
駐車場は12時まで利用できるので、車を置いて松山市中心街の観光に出かける。
松山市駅(まつやましえき)まで歩いてきた。
駅ビルは「いよてつ高島屋」
四国一の百貨店だ。
愛媛県の百貨店です。ファッショントレンドやデパ地下スウィーツなど、旬な情報も満載!また、お中元、お歳暮などに厳選されたギフトをどうぞ!
いよてつ髙島屋 から引用
いよてつの駅、バスターミナルがある。
店舗面積43,000平方メートル、屋上には、大観覧車「くるりん」がある。
国鉄松山駅が開業する際に「松山駅」の名称を国鉄に譲ったため「松山市駅」に改称した。
坊ちゃん列車が発着している。
夏目漱石の小説「坊っちゃん」で登場人物が利用したことで知られる。
「坊っちゃん列車」という呼び方は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」で登場人物が利用したことから、タイトルに「列車」が付き、そのまま人々に親しまれるようになったことによるものです。
「乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ」と漱石が書いた当時の車内を忠実に再現している。
もちろん現在は蒸気機関車ではなく、電車だ。
最新型のトラムとの対比が面白い。
日切地蔵
日切地蔵(ひきりじぞう)にやってきた。
独立山 善勝寺
〒790-0012 愛媛県松山市湊町5丁目4−15
089-946-0369
正式には独立山 善勝寺(どくりつざん ぜんしょうじ)という。
期日を定めて祈願をすれば叶うとされるので「日切地蔵」と呼ばれます。
江戸時代に諸国に悪疫が流行した際「善勝寺の地蔵尊に日を切って願をかければ必ず成就す」という霊夢を見たものが現れ、これを信じて願を立てるとことごとく病苦は消滅したそうです。
それ以来多くの人がお参りするようになり、今ではまち中のビルに囲まれた一角にありつつも、お線香の煙と香りが絶えないお寺です。
期日を定めて祈願をすれば叶うとされるので「日切地蔵」と呼ばれている。
石仏に赤い涎掛け。
由緒書き。
1603年に奈良県の知善和尚が建立した。
諸国に悪疫が流行した際「善勝寺の地蔵尊に日を切って願をかければ必ず成就す」という霊夢を見たものが現れ、これを信じて願を立てるとことごとく病苦は消滅したと伝わる。
子規堂
銀天街(ぎんてんがい)まで歩いてきた。
前回歩いた時は夜間だったこともあり寂しかった。
この日は土曜日ということもあり、通行客が多い。
ここから子規堂(しきどう)に向かう。
歩道橋を渡る。
踏切を渡る。
子規堂(しきどう)に到着。
正式には、天龍山 正宗寺(てんりゅうざん しょうじゅうじ)という。
子規堂は、正岡家の菩提寺である正宗寺(しょうじゅうじ)境内に建ち、子規が17歳まで暮らした家を復元した記念堂である。
子規堂
〒790-0023 愛媛県松山市末広町16−3
089-945-0400
臨済宗妙心寺派の寺だ。
駐車場は舗装されていないが、とても広い。
正岡子規(まさおかしき)が17歳まで過ごした住居を境内に復元している。
入館料は50円。
レトロな入場券。
愛媛県指定史跡となっている。
正岡子規は俳聖と呼ばれるが、ベースボールを「野球」と名付けたことでも知られる。
36歳の若さで他界した。
内部はこんな感じ。
夏目漱石が松山中学に赴任していた際には、同居していた。
この家には17歳まで住んでいたという。
勉強部屋は3畳と、とても狭い。
1902年に東京で死去した。
子規庵の建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。
明治27年子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。
子規庵について | 子規庵 から引用
正岡子規は1889年に喀血するまで野球を続けていた。
与謝野晶子の歌碑がある。
ここは埋髪塔で、子規の三回忌に遺髪を埋葬した。
「坊っちゃん列車」の客車が展示されている。
その前にあるのは、夏目漱石の胸像。
「坊ちゃん」の一節が刻まれている。
客車に乗ることができる。
明治21年製の、現存する最古の軽便機関車だ。
参拝する。
元の本堂は、松山城の余材で建てられたそうだ。
現在はコンクリート製。
マクドナルド
松山市駅に戻ってきた。
マクドナルドに入る。
モバイルオーダーしようとしたが、エラーが出て使えなかった(怒)
スムーズに操作するとエラーが出るそうだ(なんじゃ、それ)
ホテルに戻り、車で先に進んだ。
最高点の標高: 22 m
最低点の標高: 20 m
累積標高(上り): 4 m
累積標高(下り): -4 m
総所要時間: 01:22:21