劔神社とは
劔神社(つるぎじんじゃ)は、福井県丹生郡越前町織田(ふくいけんにゅうぐんえちぜんちょうおた)にある神社だ。
越前国二宮とされる。
劔神社の創祀は悠久の昔、北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り〝劔大神〟と称えたことに始まります。
神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いだことを社記は伝えています。奈良時代より祈願の霊場と尊ばれ、朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきました。
特に織田信長公は先祖が当社の神官であったことから、劔神社を「氏神」として厚く崇敬されました。
劔神社
〒916-0215 福井県丹生郡越前町織田113−1
0778-36-0404
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駐車場
2024年7月13日、この日は越前糸生温泉 泰澄の杜(たいちょうのもり)で宿泊していた。
そこから車で、劔神社(つるぎじんじゃ)にやってきた。
道が狭いので要注意。
参集殿の駐車場に車を停めた。
10台ほど停められそうだ。
鳥居の先に参拝者用駐車場があった(汗;)
境内
左側に天満宮が鎮座する。
劔神社(つるぎじんじゃ)は、劔大明神とも呼ばれる。
文武天皇の時代に疫病が流行したため、護摩祈祷をしたところ青面金剛が現れ疫病を鎮めた。
それがが庚申の年、庚申の月、庚申の日だった。
そこから「庚申さま」に灯明を灯して一晩を過ごすようになった。
劔神社(つるぎじんじゃ)は、越前国二宮とされる。
座ヶ岳(くらがたけ)に祀られていた素盞嗚大神をを伊部臣が現在地に勧請した。
織田信長は当社の神官の子孫とされ、織田家の氏神とされた。
戦国一の美女?!
美少年!
応永年間(1394〜1427)神官の子、常昌は時の越前の守護斯波氏にその才能を見出され、家臣として取り立てられて、尾張の国に派遣された。
苗字は故郷の地名をとって「織田」を名乗った。
鎮座1800年。
非常に古くからある神社だ。
由緒書き。
奈良時代の神護景雲4年(770年)当時にはすでに神宮寺があった。
朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきた。
奈良時代に光仁天皇が奉納されたと伝えられている梵鐘は国宝になっている。
日本で3番目に古い梵鐘とされる。
越前国二宮。
ちなみに一宮は気比神宮(けひじんぐう)だ。
御神体となっている剣は垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣だ。
祭神は素盞嗚大神(すさのおのおおかみ)、氣比大神(けひのおおかみ)、忍熊王(おしくまのみこ)
忍熊王(おしくまのみこ)は仲哀天皇皇子で、この地の賊徒を討伐した。
その後もこの地を開拓したことから、開拓の祖神として父である仲哀天皇(気比大神)とともに配祀されたと伝えられる。
参拝
手水が龍のセンサー式。
厄除け、勝ち運の神様とされる。
人の運気を高め、大願成就にご利益があるそうだ。
願い事が叶う人は軽く感じるんだって。
これは重いでしょう。
これから末永くおじいと一緒にこういう旅ができますように。
一攫千金(笑)
軽い!
ひどぉ〜い!
現在の拝殿は弘化四年(1847年)に建立された。
摂社
薬師神社。
小松建勲神社(こまつたていさおじんじゃ) 、奇稲田媛神社(くしなだひめじんじゃ)
祭神は平重盛(たいらのしげもり)、織田信長(おだのぶなが)
祭神は素盞嗚大神の后の奇稲田媛命(くしなだひめのみこと)
織田神社(おたじんじゃ)
旧気比社で、祭神は保食大神 (うけもちのおおかみ)、仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)、応神天皇 (おうじんてんのう)
かわらけ割り。
未使用の越前焼きの杯を割り災いを祓う儀式を行う。
本殿は江戸時代の造営で福井県指定有形文化財。
Take2。
自分だけ「一攫千金」はずるいと怒られた(苦笑)
わざとらしいおじい。
おばあ大喜び。
忠魂社。
ずらりと社殿が建ち並んでいる。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
旧神前院護摩堂(きゅうしんぜんいんごまどう)
劔神社の神宮寺である織田寺の護摩堂として延宝三年(1675年)に建立された。
内部には神輿が納められていた。
庚申宮、天満宮にも参拝する。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 435 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 6830 m
累積標高(下り): -6867 m
総所要時間: 10:10:23