六條八幡宮とは
六條八幡宮(ろくじょうはちまんぐう)は、高知県高知市春野町西分(こうちけんこうちしはるのちょうにしぶん)にある神社だ。
祭神は、品陀和気尊(ほむだわけのみこと)=応神天皇(おうじんてんのう)
1402年に京都の六條左女牛八幡宮(ろくじょうさめがいはちまんぐう)から勧進された。
当社はもと六条醒ヶ井(さめがい)にあり、源頼義(よりよし)(八幡太郎義家の父)が八幡の若宮として祀ったものと伝えられている。
当初は六條(ろくじょう)八幡、左女牛(さめがい)八幡とも呼ばれ、源氏一族や多くの武士からの信仰厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め隆盛を極めた。
しかし、応仁の乱により社殿は荒廃し、以後社地も転々とし、慶長10年(1605)この地に移った。
現在の社殿は承応3年(1654)に再建されたもので、本殿には仲哀(ちゅうあい)天皇、応神(おうじん)天皇及び神功(じんぐう)皇后を祀り、相殿(あいどの)には仲恭(ちゅうきょう)天皇を祀っている。
このあたりは源頼朝が六條左女牛八幡宮に寄進した土地だったので、この神社が建立されたのだろう。
天喜元年(1053年)、仏説による末法末世の世の1年目にあたることから[要出典]、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛(さめがい)西洞院にあった自邸内の坤の隅に造営された石清水八幡宮の若宮(新宮)であったために左女牛八幡宮と称され、また左女牛通の北を六条大路が走り、頼義邸はその間に位置したために六条左女牛若宮や六条八幡宮とも称され、毎年8月に放生会を行う例とされたが、その後保延6年(1140年)正月に石清水八幡宮が火災によって社殿焼失に遭った際には左女牛の若宮に遷座したとの夢告ありと京中の道俗男女の参詣が盛んとなったという[1]。爾来源氏の氏神として同氏からの崇敬を受け、源頼朝は大江広元の弟の季厳阿闍梨を別当職に任じ、文治元年(1186年)12月には土佐国吾川郡の地を寄進[2]、翌年幕府によって大規模な社殿の造営があり、8月に遷宮している[3]。
西分村の産土神であり、あじさい神社として知られる。
「あじさい神社」の愛称で親しまれる高知市春野町西分の六條八幡宮で14日、雨にしっとりとぬれた色とりどりのアジサイが、訪れた人たちの心を和ませた。
宮司と近所の男性が20年ほど前に本殿の横に1株の白いアジサイを植えたのが始まり。その後、氏子らが「春野町あじさい愛好会」(高橋啓忠会長)をつくり、植栽と手入れを続けている。
穏やかな薄紫や青、目にまぶしい赤など、色彩も形状もさまざま。母の日に贈られた貴重な品種も数多く“奉納”されており、今では約80種1400株が咲き誇っている。
古くから開けた場所で、遺跡も多くある。
ここは古くから栄えた土地。このしゅっと東に、縄文時代からの西分増井遺跡。この界隈、広大な弥生集落も営まれております。野中兼山が灌漑して春野を土佐のデンマークにする、その遥か昔から、ここは肥沃な土地であり続けてきたにかありません。
この六條八幡宮の近くには大寺廃寺跡。出土遺物から、奈良時代に創建されたとされる、大きなお寺さんが、この界隈にあった訳だ。
出土した単弁八葉蓮華文鐙瓦は、高知市北郊の秦泉寺廃寺跡からも同系統の瓦が出土しちょりまして、関連があったのではないか、という説も。
何せ、秦泉寺廃寺は渡来系の秦氏に関係するかも知れん、と言われ、大寺廃寺も、「秦姓を持つ郡司が文献に見られる(高知県埋蔵文化センター)」とのことですきんね。縄文遺跡もあるように、元々、土着の勢力があった。そこに、農耕を主体とする農耕民族がやってきて、弥生文化を花咲かせる。そして、中央の影響を受けながら古墳時代を経て、渡来系の秦氏が勢力を持つようになる。時代が下って鎌倉時代となり、源家の影響下に置かれるようになった。
そんな歴史が妄想できますな。
駐車場
この日は加茂川親水公園に行った。
![](https://i0.wp.com/niyodogawa.org/wp-content/uploads/2019/06/ajisaimatsuri.jpg?resize=100%2C100&ssl=1)
その後、車で六條神社にやってきた。
前回来た時はピアステージの駐車場に車を停めた。
![](https://i0.wp.com/niyodogawa.org/wp-content/uploads/2018/06/rokujohachimangu.jpg?resize=100%2C100&ssl=1)
今回は平日と言うこともあり、空いているだろうと神社前の駐車場に入れることにした。
参道
駐車場から用水路を渡ると、六條神社だ。
前回停めた駐車場は、鳥居の先にある。
参道。
掲示板に貼られているポスターのイラストが、今風だ。
扁額。
狛犬。
なかなか凜々しい。
記念碑。
昭和二年と書かれている。
こちらは大正12年。
由緒書き。
参道沿いにアジサイが植えられている。
この神社の特徴は、アジサイの種類が多いことだ。
灯籠の周囲には、違うアジサイ。
いろいろな人が奉納している。
絵馬もアジサイ柄。
参拝
拝殿。
内部はこんな感じ。
お守りもアジサイという徹底ぶりだ。
イベント
この日は拝殿横に、テントが出ていた。
テーブルには鉢植えのアジサイが飾られている。
ここでコーヒーの接待をしていただいた。
なんだか申し訳ないので、アイスクリンを購入。
山アジサイ
坂道を上がっていく。
濃い紫色のアジサイが印象的だ。
小高い山の上へ。
広場になっている。
その周囲の斜面に、アジサイが植えられている。
ぐるりと一周してみた。
お世話の大変さを感じる。
この下が、ピアステージの駐車場だ。
坂道を戻る。
展望台と書かれた方向に行ってみた。
テントの上に当たる。
しばし歩くと、
行き止まり。
どうやら、本殿の上に来たようだ。
帰路
坂道を下りていく。
アジサイを眺めながら、駐車場に向かう。
ここは参道と並行した道だ。
駐車場に戻る。
車であじさい街道に向かった
![](https://i0.wp.com/niyodogawa.org/wp-content/uploads/2019/06/ajisaikaido.jpg?resize=100%2C100&ssl=1)
感想
何度も来ている神社だが、いつもは静かな境内がアジサイの季節は大賑わい。
この日は平日にもかかわらず、多くの観光客が参拝していた。
たくさんの種類のアジサイを育てるご苦労あればこその、賑わいだろう。
見応えも十分なので、アジサイ見物にぜひ来てもらいたい。