あすか夢の楽市とは
あすか夢の楽市は、奈良県高市郡明日香村(ならけんたかいちぐんあすかむら)にある直売所だ。
特産のいちごやみかんなどの果物、地元の新鮮野菜、手作りの漬物や菓子類も豊富に並んでいます。
近くには、甘樫丘、飛鳥寺などの名所史跡が多い場所になっているので観光の合間にお立ち寄りください。
あすか夢の楽市
〒634-0103 奈良県高市郡明日香村飛鳥225−2
0744-54-3311
飛鳥まほろば探訪2025【前編】歴史ロマンあふれる明日香村の遺跡巡り!大化改新の真実に迫る!【旅行VLOG、レビュー】埋蔵文化財展示室〜飛鳥水落遺跡〜蘇我入鹿首塚〜飛鳥寺〜亀形石造物〜酒船石
駐車場
2025年1月9日、この日は奈良県高市郡明日香村(ならけんたかいちぐんあすかむら)にある岡寺(おかでら)に参拝した。

そこから車で、県道124号線を走る。
あすか夢の楽市に到着。
駐車場は舗装されていないがとても広い。
明日香村埋蔵文化財展示室
隣が明日香村埋蔵文化財展示室だ。
明日香村埋蔵文化財展示室
〒634-0103 奈良県高市郡明日香村飛鳥225−2
0744-54-5600
明日香村内出土遺物などを無料で見学できる。
明日香村が発掘した文化財の展示スペース。
旧飛鳥小学校の建物を利用しているから、ちょっとレトロな雰囲気。
土器などが展示されている。
ここは旧飛鳥小学校の建物だという。
以前来た時に、飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)を見に行ったことを思い出した。

2016年のことだ。
この展示室もその時に見学した。
近くの地名に雷(いかずち)がある。
キトラ古墳の模型があった。
キトラ古墳は7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られている。
四神を描いた壁画が残り、国の特別史跡に指定されている。
あすか夢の楽市
見学を終え、あすか夢の楽市で葛湯を購入。
おいしい、生姜が利いて。
体があったまります、かなり辛いです。
イチゴが特産だそうだ。
石神遺跡
隣接して石神遺跡(いしがみいせき) がある。
蝦夷や外国人使節をもてなし、服属儀礼や饗宴を行う飛鳥の迎賓館であったと考えられている。
石神遺跡は大きく斉明朝,天武朝,藤原宮期の三時期の遺構が明らかとなっている。中でも斉明朝の建物群は当時、蝦夷や外国人使節をもてなし、服属儀礼や饗宴を行う飛鳥の迎賓館であったと考えられる。
こちらは飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)
中大兄皇子が日本で最初に造った漏刻台の遺跡。
『日本書紀』斉明天皇6年(660)の記事に記載されている。
礎石の上に方4間の総柱の楼閣が建っていたと推定されている。
蘇我入鹿首塚
蘇我入鹿首塚(そがのいるか くびづか)まで歩いてきた。
権力者だったが、大化改新の際に飛鳥板蓋宮で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに暗殺された。
蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる。
五輪塔自体は鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられている。
蘇我入鹿首塚
〒634-0103 奈良県高市郡明日香村飛鳥682
0744-54-2362
飛鳥寺
この先が飛鳥寺(あすかでら)
日本で最も古い仏像がある。
ここが飛鳥寺の西門跡。
飛鳥寺
〒634-0103 奈良県高市郡明日香村飛鳥682
0744-54-2126
当初の飛鳥寺は現在の約20倍もの壮大な寺院で、中心の五重塔を囲んで中金堂、東金堂、西金堂が建つ一塔三金堂式の大伽藍であった。
644年に飛鳥寺で開かれた蹴鞠会で、中臣鎌子(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)が出会ったとされる。
その結果として大化の改新があり蘇我入鹿が殺された。
飛鳥寺は蘇我馬子(そがのうまこ)が創建したが、そこで孫の蘇我入鹿が暗殺されるきっかけになるとは皮肉なものだ。
中大兄皇子は後の天智天皇。
安置されている大仏は面長で、東大寺など後の仏像とは随分違う。
今回は拝観しない。
思惟殿。
588年に蘇我馬子が創建した日本で最初の本格的な仏教寺院。
大仏は605年に推古天皇が造らせた日本最古の仏像。
現在の伽藍は1826年に再建されたもの。
酒船石遺跡
万葉文化会館まで歩いてきた。
まず亀形石造物(かめがたせきぞうぶつ)を見に行く。
亀形石造物
〒634-0111 奈良県高市郡明日香村村岡
平成12年(2000年)に大規模な発掘が行われ亀形石造物が発見された。
文化財保存協力金として1人300円。
亀形石造物(かめがたせきぞうぶつ)は全長約2.4m、全幅約2m。
斉明天皇(皇極天皇)の祭祀に関わる遺跡と考えられている。
前回はここは見ずに酒船石を見に行った。
酒船石
石垣は平成4年に発見された。
3mほど盛り土した上に花崗岩の高さ1mほどの石垣を造った。
日本書紀に記載されているそうだ。
酒船石(さかふねいし)
酒造りに使用したとのいい伝えからこの名がついたが、なんのためのものか分かっていない。
付近で石組溝や木樋が発見されており、水に関わる施設と考えられている。
生け贄。
万葉文化会館まで歩いてきた。