観自在寺とは
観自在寺(かんじざいじ)は、愛媛県南宇和郡愛南町(えひめけんみなみうわぐんあいなんちょう)にある真言宗大覚寺派の寺だ。
観自在寺
〒798-4110 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253−1
0895-72-0416
四国霊場の裏関所!平城京と平安京の遷都と権力闘争の歴史を語る観自在寺で出会う平城天皇の足跡【旅行VLOG、レビュー】愛媛県最初の札所!弘法大師が本尊を刻んだ霊木の宝印守をいただける札所!
駐車場
2025年2月27日、この日は高知県幡多郡大月町(こうちけんはたぐんおおつきちょう)にあるベルリーフ大月(おおつき)に宿泊していた。

そこから車で、国道56号線を走る。
愛媛県愛南町(えひめけんあいなんちょう)にやってきた。
御荘(みしょう)市街地方面に右折する。
この道は狭いので要注意。この道は狭いので要注意。
観自在寺(かんじざいじ)駐車場に到着。
駐車場は舗装されていないがとても広い。
四国八十八箇所第40番札所。
参道はとても狭いので、さっきの道をナビされた。
境内
観自在寺(かんじざいじ)は、平城山(へいじょうざん)、薬師院(やくしいん)と号す。
真言宗大覚寺派の寺だ。
寺伝によれば大同2年(807年)平城天皇の勅願によって、空海(弘法大師)が開創したと伝えられている。
四国八十八箇所第40番札所で愛媛県の最初の札所。
一番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。
寛永15年(1638)に「薬師院」の院号を授かった頃は七堂伽藍がそびえ、末寺48坊、寺領二千数百石という隆盛を誇っていたという。
火災によりすべての堂塔を焼失後は宇和島藩主・伊達家の祈願所として崇拝されてきた。
本堂は昭和39年の再建。
十二支守り本尊。
昭和53年に建立された。
丑年は虚空蔵菩薩。
本堂
平城天皇は勅額「平城山」を下賜し、次の嵯峨天皇とともに親しく行幸された。
毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修された。
こうしたことから、この地方を「御荘」と称し、また勅額の山号に因んで「平城」とも呼ぶようになっている。
弘法大師は1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したとされている。
本堂内の撮影は禁止。
本尊は50年に一度の開帳の秘仏で次回は2034年。
大師堂は平成5年(1993年)に再建された。
篠山大権現
篠山(ささやま)大権現がある。
篠山(ささやま)は標高1,064mの日本三百名山。
山頂付近には弘法大師(空海)が開山したと伝えられる観世音寺跡がある。
四国八十八ヶ所霊場遍路では月山神社(つきやまじんじゃ)か篠山(ささやま)かのどちらかに詣でるのが習わしとされる。

第39番札所の延光寺(えんこうじ)から観自在寺に至る遍路道は国の史跡に指定されている。
奥の院は鯨大師といい宇和島市の沖に見える九島にあった。
空海は都から遠く文化の恩恵を受けないこの地を気の毒に思い霊場を開いたと伝えられている。
寛永8年(1631年)鯨大師を対岸の元結掛(もとゆいぎ)に移し、元結掛願成寺と呼ばれた。
その後明治時代になって龍光院に合わせ祀られるようになった。
平城天皇遺髪塔
平城天皇(へいぜいてんのう)遺髪塔。
806年に即位した第51代天皇で、権力争いで平安京から平城京への遷都を図ったが失敗。
剃髮して仏門に入った。
息子の高岳親王は皇太子を廃され、空海に師事して清瀧寺(きよたきじ)に逗留。
その時に京都の産土神岩清水八幡宮を松尾八幡宮(まつおはちまんぐう)に勧進した。

ぽっくり地蔵。
おばあがポックリ逝くように。
参拝を終え、車で先に進んだ。
