麻績宿とは
麻績宿(おみじゅく)は長野県東筑摩郡麻績村(ながのけんひがしちくまぐんおみむら)にある善光寺街道(北国西街道、善光寺西街道)8番目の宿場だ。
洗馬(せば)から8番目の宿場で、古代から官道の宿駅として発達し、戦国時代には麻績服部氏の城下町として発展しました。
麻績宿が正式に宿場となったのは慶長18年(1613)のことで、安政初年(1853)頃には本陣1軒、問屋2軒、旅籠屋29軒、東西約6町35間(710m)だったといわれています。
麻績宿跡
〒399-7701 長野県東筑摩郡麻績村麻8235
長野県高原散歩【善光寺街道】麻績宿を歩いてみた!北国西街道の面影を探る旅【旅行VLOG、レビュー】北国西街道、善光寺西街道とも呼ばれる古道!1613年に松本藩主小笠原秀政によって定められた宿場!
駐車場
2025年7月7日、前回は岐阜県下呂市(ぎふけんげろし)にある濁河温泉(にごりごおんせん)に入った。

この日は車で国道19号線を走る。
今回は安曇野方面には行かず直進する。
JR明科駅(あかしなえき)を通過。
右折して国道403号線に入る。
2017年に完成した新矢越(しんやごせ)トンネルを抜ける。
かつて北国西街道だった道だ。
別称「善光寺道」で起点は洗馬宿(せばじゅく)だ。

筑北PA (ちくほくパーキングエリア)を通過。
この道は長野自動車道とJR篠ノ井線に並行して走っている。
麻績IC(おみインターチェンジ)を通過。
聖高原駅(ひじりこうげんえき)を通過。
麻績宿(おみじゅく)にやってきた。
観光駐車場を見つけられなかったのでGoogleマップで「麻績宿跡」と書かれていた場所に駐車した。
こんな雰囲気なので短時間駐車しても迷惑にはならないだろう。
本陣跡
善光寺街道(北国西街道、善光寺西街道)の8番目の宿場だ。
JR篠ノ井線の聖高原駅(ひじりこうげんえき)がある場所だ。
「高原」という駅名の割に暑い(汗;)
標高は700mほどだ。
まず案内看板でルートを確認。
ここが本陣跡だった。
車で来る途中にも古い建物が残っていた。
麻績宿(おみじゅく)は慶長18年(1613)に北国西街道が整備された際に、臼井家を本陣とした正式な宿場町として成立した。
麻績(おみ)とは古代に麻績(苧環)をつくることを職掌とする麻績氏の部民であった麻績部氏が居住していたことからだと考えられている。
飯田市にも麻績神社(おみじんじゃ)があった。
本陣跡。
観月苑からは姨捨山の眺望を楽しめるそうだ。
檜造りの「観月堂」から眺める姨捨山の眺めは格別です。
信濃観月苑|麻績村 観光サイト から引用
安政初年(1853)頃には本陣1軒、問屋2軒、旅籠屋29軒、東西約6町35間(710m)だったといわれている。
かつてここに宗善寺があった。
黄土色の土塀の建物が続く。
新しそうだ。
ラベンダーは咲いていますがメチャ暑いです。
北海道も30度越えてるって。

古そうな建物があるがよく分からない。
あまり観光地化していない。
この上に麻績古城跡や信濃観月苑がある。
この辺りが旧麻績宿だという。
麻績宿(おみじゅく)が正式に認められたのは慶長18年(1613)松本藩主小笠原秀政によって定められてから。
五街道のような正式な本陣ではなかったが北国脇往還(善光寺街道)沿いの麻績宿では臼井家が代々本陣職を世襲した。
信濃観月苑にはお庭があって月見ができる、舞台のような物があって普段はお抹茶とかをいただける。
行きません。
ここからUターンすることにした。
めげてるおばあ、暑さにやられているようですね。
芭蕉句碑
松尾芭蕉は貞享5年(1688年)の「更科紀行」で麻績宿を訪れ、その際に「ひょろひょろとなお露けしゃをみなへし」の句を詠んだ。
「身にしみて 大根からし 秋の風」
安政初年(1853)頃には本陣1軒、問屋2軒、旅籠屋29軒、東西約6町35間(710m)だったといわれている。
麻績宿(おみじゅく)は正式に認められる以前から東山道の麻績駅として記録に残る。
車で先に進んだ。
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