新川大師堂
2025年2月14日、この日は高知県高知市(こうちけんこうちし)にある天下味(てんかあじ)土佐道路店でランチを済ませた。

そこから車で、仁淀川(によどがわ)の堤防にやってきた。
新川大師堂(しんかわたいしどう)に参拝する。

DJIマイクminiを紛失!仁淀川ウォーキング途中で発生した悲劇!【旅行VLOG、レビュー】第34番札所種間寺を参拝してきた!【四国遍路】早春の土佐路を歩く気持ちいいウォーキングが一転!冷や汗をかく
春野十景に指定されている。
由緒書き。
四国八十八ヶ所霊場第34番札所種間寺と第35番清瀧寺の間にある。
新川大師堂
〒781-0325 高知県高知市春野町森山
森山八幡宮
参拝を終え、仁淀川(によどがわ)の堤防を歩いて行く。
森山八幡宮まで歩いてきた。
祭神は日野資朝〔ひのすけとも〕と日野朝保〔ひのともやす〕
通常は八幡宮の祭神は品陀和気命(ほむだわけのみこと)、つまり応神天皇(おうじんてんのう)なのだが、この森山八幡宮はその名を借りているだけだ。

森山八幡宮
〒781-0325 高知県高知市
日野資朝〔ひのすけとも〕は南北朝時代の正中の変で佐渡に流されそこで殺害された。

子の日野朝保〔ひのともやす〕は京都で遺骨を葬る際に北条方の目をはばかってこれを八幡宮と称した。
後醍醐天皇が崩御〔ほうぎょ〕すると孫の日野勝朝は京都にいられなくなった。
勝朝は八幡の璽〔しるし〕つまり資朝の魂代〔たましろ〕と重器を背負い、海を渡り阿波を経てここに逃れてきた。
森山の領主徳弘安宗〔とくひろやすむね〕は、勝朝を厚く待遇〔たいぐう〕し社殿を現在地に建立した。
正平二十四年(1369)日野勝朝はこの社に資朝と朝保を祀った。
朝保は神職として神社に暮らすようになった。
嘉吉3年(1443)の白銅鏡が残っている。
以前、本殿に巨大なスズメバチの巣があった。

種間寺
用水に水が張られたが、まだまだ春は遠い。
蝋梅。
少女。
種間寺(たねまじ)まで歩いてきた。

観光バスが着いている。
四国八十八ヶ所霊場第34番札所だ。
観光バスで来られた遍路の団体が参拝中。
大師堂。
参拝を終え、先に進んだ。
甲殿川
芸術作品を展示している民家がある。
ピアステージが見えてきた。
ここに野中兼山(のなかけんざん)の銅像が建っている。
春野(はるの)という地名は野中兼山のことだ。

江戸時代に大規模な土木工事を多数行って土佐藩の繁栄に大きく寄与したが晩年は失脚してしまう。
そのため名を呼ぶことがはばかられ、野中兼山を祀る神社は春野神社と呼ばれた。
甲殿川(こうどのがわ)を上流に向かって歩いて行く。

DJIマイクminiを落としたことに今気がつきました(大汗;)
来た道を戻って探す。
種間寺まで戻ってきてDJIマイクminiを発見。
仏のお導きでした。
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