丹生都比売神社とは
丹生都比売神社(丹生都比賣神社)(にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野(わかやまけんいとぐんかつらぎちょうかみあまの)にある神社だ。
全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社で、世界文化遺産に登録されている。
丹生都比売神社は、平成十六年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、高野山、熊野、吉野地域とともに世界遺産に登録されました。
これは、弘法大師高野山開山以来の守護神である当社と高野山の関係に、神と仏を大切にする日本人の祈りの源泉があるとされたものです。
日本人にとって、「神と仏が共存する信仰」はあたり前のことですが、ユネスコはまず「日本古来の信仰である神道とインドから東アジアに伝わった仏教がこの地において融合し、現在まで1200年にわたりその関係が続き、それらの文化的景観が残っていること」をあげ、その関係を「ユニーク(他に類がない)」と評価しています。
世界文化遺産について から引用
弘法大師が高野山を開山する際に土地を提供したことから、高野山の守護神として崇められてきた。
高野山の縁起によると、唐で習得した真言密教の道場となる地を求める弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人が現れ、弘法大師を高野山へ導いたと伝えられています。
この狩人は丹生都比売大神の御子である高野御子大神が化身された姿でした。丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け高野山に根本道場を開いた弘法大師は、丹生都比売大神と高野御子大神に深く感謝し、高野山の守護神(明神)として、山内の壇上伽藍に御社(みやしろ)を建てお祀りしました。
これ以降、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。
中世、当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。
世界文化遺産について から引用
祭神は、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
ジョイフル和歌山かつらぎ店
2022年1月2日、この日は粉河寺に参拝した。

そこから車で、ジョイフル和歌山かつらぎ店にやってきた。
お正月なので、こういうファミレスが安心できる。
駐車場はとても広い。
ネットで調べた時に1時で営業終了と書いていてランチに間に合うか心配したが、当然午前1時のことだった(笑)
待たされることもなく、席をゲット。
メニューはこんな感じ。
俺はサイコロステーキに和食セット。
意外とまともな(笑)肉に見える。
しかし食感は成型肉のようだ(汗;)
ツレは豚汁定食。
完食し、食後はドリンクバーのコーヒー。
駐車場
食事を終え、車で丹生都比売神社にやってきた。
さすがに1月2日ということで初詣の車が多く、駐車場待ちで30分ほど待たされた。















駐車場から橋を渡って丹生都比売神社に向かう。
以前にも参拝したことがあり、太鼓橋が印象に残っている。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。
参道
案内看板でルートを確認。
一間社春日造の社殿としては、日本一の規模を誇る。
楼門は1499年の建立。
外鳥居をくぐって、境内に入る。
太鼓橋は「輪橋」といい通常は渡れるのだが、凍結により危険だとして閉鎖されていた。
禊橋を渡ると中鳥居がある。
参拝
楼門には参拝者の行列ができていた。
行列に並ぶのに上着を忘れて寒い。
祭神は、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
弘仁7年(817年)のことだが、弘法大師は白と黒の犬を連れた猟師と出会った。その時、猟師は「この山の向こうに、夜になると不思議な光を放つ山がある。この犬に案内させよう」と教え、二匹の犬を放った。
この猟師は、高野山の地主神で「狩場明神」だった。大師は、二匹の犬の案内に従って、山に入っていった。すると今度は丹生都比売神(丹生明神)と名乗る女性と出会った。
比売が指さす方を見ると、大師が唐から願いを込めて投げた三鈷杵(さんこしょ)が松の枝にかかっていたという。
弘法大師は、三鈷杵のあった場所に金剛峯寺を建てて高野山を開いた。
この話は『金剛峯寺建立修行縁起』に書かれている。このときの「狩場明神」が、高野御子大神の別名だとされています。
室町時代に建立され、国の重要文化財になっている。
ようやく順番が来て、参拝する。
本殿はこんな感じ。
第一殿から第四殿が左右に並ぶ形式だ。
佐波神社にも参拝する。
車で先に進んだ。















