屋島寺とは
南面山千光院屋島寺(なんめんざんせんこういんやしまじ)は、香川県高松市屋島東町(かがわけんたかまつしやしまひがしまち)にある真言宗御室派の四国八十八箇所霊場の第84番札所だ。
本尊は十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ)
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛し、天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納された。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっている。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されているが、寺運は戦乱によって衰退する。だが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えている。
駐車場
2020年10月24日、この日は夕凪の宿HOTEL花樹海に宿泊していた。
そこから車で、屋島にやってきた。
国道から山道を上り、駐車場に向かう。
途中に、登り道なのに下っているように錯覚してしまう場所がある。
そんな頂上へ続く「屋島ドライブウェイ」は、クルマで山頂に行ける唯一の道路なのだが、このドライブウェイには眺望以外にも、その名を全国に知られている要素がある。それは、山頂へと続く道中にある「ミステリー坂」だ。どう見ても下りなのに、実際は上りになっているというこちらの坂は、全国にある類似のミステリー坂の中でも最も有名で、その不思議な光景見たさに全国から脚を運ぶ人もいるという。
この道は以前は有料道路だったが、現在は無料で通行できる。
しかし駐車場は有料だ。
駐車場はとても広い。
山門
これから歩くルートを、観光看板で確認する。
屋島寺の山門は、目にも鮮やかな朱塗りだ。
開祖は鑑真(がんじん)
唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました。天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。
以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。
鑑真大和上 | 唐招提寺 から引用
参拝
本堂。
巨大な宝物館。
蓑山大明神の前には、狸の石像がある。
祭神は、屋島太三郎狸(やしまのたさぶろうたぬき)
屋島寺の本堂の隣には蓑山(みのやま)大明神が祀られています。ジブリ映画にも登場した、日本三大狸屋島の太三郎狸が祀られているのもこちら。太三郎狸は屋島で道に迷った鑑真や弘法大師を案内したり、屋島に凶事が起こるときには、住職に知らせるなど数々の善行を積んだとされています。
大師堂。
七福神像。
仁王門を通って、外に出た。
西尾根展望台
次に西尾根展望台(にしおねてんぼうだい)に向かう。
高松の市街地が一望だ。
前日泊まった花樹海が見えている。
水族館
なぜか香川県なのに岡山アカマツがあった。
水族館は今回は通過。
屋島城跡
屋島城跡まで歩いてきた。
天智天皇が667年に築かせたという、古い山城だ。
中大兄皇子が唐と新羅の侵攻に備え、対馬、九州から瀬戸内海沿岸にかけて築かせた山城で、
667年に築かれたことが「日本書紀」に記されています。断崖絶壁を最大限利用した古代山城で、城壁の9割程は天然の崖です。
平成19年度から高松市が進めてきた屋嶋城跡城門遺構整備事業が完了し、平成28年3月19日から公開されています。
迫力ある石積みと高松市街地の眺望は一見の価値あり。同時に整備された西尾根展望台からの眺めもおすすめです。
「甦る屋嶋城」アプリをスマートフォンやタブレット端末にダウンロードしておけば、現地で往時の城門を甦らせることができます。
屋島は源平合戦の地としても有名だ。
義経八艘飛びや弓流しなどの逸話が残る。
[由来] 「平家物語―一一」で語られる、源みなもとの義よし経つねの戦いぶりから。海上での戦いとなった壇だんノの浦うらの合戦の際、荒武者として知られた平たいらの教のり経つねと船の上で鉢合わせした義経は、「長刀脇にかいはさみ、みかたの船の二丈ばかりのいたりけるに、ゆらりととび乗り給ひぬ」とあります。「二丈」とは、約六メートル。さすがの教経も、そんなにも身軽な義経を追いかけるのは諦めて、最後は敵の侍二人を抱えて、海に沈んだのでした。なお、「平家物語」では、義経が飛び移ったのは一回だけですが、後に、次々に八艘もの船を飛び移ったと伝えられるようになりました。
義経の八艘飛びとは – コトバンク から引用
血の池
このあたりは小学校の時に修学旅行で泊まった覚えがあるのだが、既に廃墟になっていた。
血の池にやってきた。
壇ノ浦の戦いの際に刀の血をここで洗ったため、この名がついたという。
弘法大師が屋島寺伽藍を南嶺に移す際、「遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門」とお経を書き、宝珠とともに納めて池にした、との伝説が残るスポット。竜神が宝珠を奪いに来るという言い伝えもあります。源平合戦のとき、檀ノ浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、「血の池」と呼ばれるようになりました。
血の池(瑠璃宝の池) | 屋島観光 | 香川県高松市「屋島」の公式観光情報サイト – all YASHIMA<オール屋島> から引用
今はきれいな公園だ。
駐車場に戻り、先に進んだ。
最高点の標高: 472 m
最低点の標高: -16 m
累積標高(上り): 1943 m
累積標高(下り): -2018 m
総所要時間: 05:18:48