神峯寺とは
神峯寺(こうのみねじ)は、高知県安芸郡安田町(こうちけんあきぐんやすだちょう)にある寺だ。

神峯寺
〒781-6422 高知県安芸郡安田町唐浜2594
0887-38-5495
遍路ころがし!四国八十八ヶ所霊場で屈指の難所!土佐の関所と異名を取る神峯寺に参拝した!【旅行VLOG、レビュー】標高515mの神峯神社まで歩いてみた!行基が開基し弘法大師が観音堂を建てた古刹!
駐車場
2025年5月30日、この日は高知県安芸市(こうちけんあきし)にある安芸(あき)しらす食堂本店でランチを済ませた。

そこから車で、国道55号線を走る。
ごめんなはり線の唐浜駅方面に左折。
広域農道を進む。
ここから道が狭くなる。
すれ違えない上に曲がりくねった道だ。
要注意。
四国八十八ヶ所霊場第27番札所だ。
駐車場はとても広い。
太平洋沿いの国道55号線から山をずっと上がってきた所にあります。
駐車料金は300円。
仁王門
竹林山と号し、真言宗豊山派に属する。
本尊は行基菩薩作と伝わる十一面観世音菩薩。
開基は聖武帝(しょうぶてい)の天平2年(730年)。
大同4年(809)弘法大師が勅命により本尊を神峯神社に合祭観音堂とした。
明治4年(1871)神仏分離令で廃寺となった。
明治20年(1887)地蔵院として再建された。
昭和17年(1942)神峯寺となった。
ここから歩いて行く。
海が見える。
古代遺跡のようだ。
駐車場からかなり上る。
ここが標高370m。
四国遍路の中でもなかなかの難所です。
お庭をいつもきれいにしているのよ。
ツツジがバッチリ四角く角が立っていますね。
禅寺っぽくて。
最初に参拝したのは2018年だ。
仁王様が真っ赤だね。
山門(仁王門)は1930年(昭和5年)に完成した。
仁王像は2007年(平成19年)に修復された。
境内
1975年(昭和50年)まで当寺へは東から悪路の開拓道路を約8 kmタクシーに乗車し残り30分山道を歩くか、麓からの急峻な遍路道を登るしか行きつけなかった。
駐車場までの細い道はその後住職が作業してつけられた。
2車線道路が付いたのは平成23年だった。
標高は四国八十八箇所霊場で9番目の高さで高知県では一番高い場所にある。
「土佐の関所」また「遍路ころがし」と呼ばれていた。
屈指の難所として知られる。
江戸時代は麓の前札所で遥拝し納経をすませる遍路もいたほどだった。
幕末、三菱財閥創始者岩崎弥太郎の母は弥太郎の開運を祈願して現在の安芸市より片道20キロメートルの道のりを素足で三七日(21日間)通い続けた逸話がある。
トイレがある。
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が祀られている。
トイレの神様として知られる。
トイレの神様という歌がありましたね。
納経所。
水場がある。
神峯の水といわれ土佐の名水40選の一つ。
シャクナゲの花は終わっていた。
アマリリスが咲いていますね。
海からかなりぐっと上がっている。
本堂
本堂まで上がってきた。
160段の石段はキツかった。
730年に行基が十一面観音を安置し、その後弘法大師が諸堂を整えたといわれている。
本尊は秘仏となっている。
もとは神峯神社の場所にあったが、弘法大師が観音堂を建てた。
経堂。
大師堂に向かう。
大師堂には空海の年表が掲示されていた。
参拝する。
神峯神社
神峯神社(こうのみねじんじゃ)に向かう。
これが結構上がるんですよね。
ここから石段。
神峯神社の大樟は樹齢900年、高知県天然記念物。
神峯神社の大スギは樹齢300年、樹高45m。
さっきの方が太かったね。
厳かな感じです。
境内まで上がってきた。
ここは標高500m。
ウィキペディアのページを貼り付けていた。
これは確かに手っ取り早いですね。
本殿は享保3年(1718年)建立のもので昭和30年に高知県保護文化財に指定された。
祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)
神武天皇が東征の際、この山を神の峯とし石を積み神籬を立てて祀ったことが起源と伝えられている。
標高515m。
大同4年(809年)に空海(弘法大師)が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたとされている。
駐車場から150m上がってきた。
神峯寺の奥の院であるが、もとは札所であった。
本殿は享保3年(1718年)建立。
摂社として龍田神社、豊受神社などが鎮座する。
燈明巌(とうみょういわ)と呼ばれる岩がある。
太古から夜が更けると青白く光っていたと言われている。
帰りは車道を下りる。
上りの石段との分岐まで歩いてきた。
登山ぐらい登ったわ。
車で先に進んだ。
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