温泉寺とは
温泉寺(おんせんじ)は、長野県諏訪市湯の脇にある臨済宗妙心寺派の寺だ。
歴代諏訪藩主の廟所(国指定史跡)を守る高島藩の菩提寺で本堂は高島城の能舞台を移築したものです。高島城から移築された能舞台を使った本堂や西国三十三間堂観音像は必見です。また、織田信長が他の地域から奪略したとされる梵鐘が温泉寺に残されています。多宝塔の中には、諏訪大社上社本宮の御神体、石造りのお鉄塔が安置されています。また、多宝塔の四隅に建つ「寺の御柱」が見られます。
温泉寺 | 諏訪観光連盟 から引用
温泉寺
〒392-0002 長野県諏訪市湯の脇1丁目21−1
0266-52-2052
和泉式部の墓!織田信長が残した梵鐘!弘法大師が建てた鉄塔!【長野県観光】見どころ満載!諏訪湖畔の温泉寺に参拝した!【旅行VLOG、レビュー】樹齢370年の桜と高島藩ゆかりの歴史的名所を巡る!
みずべ公園
2024年12月30日、この日は長野県岡谷市(ながのけんおかやし)にあるサイゼリヤ レイクウォーク岡谷店でランチを済ませた。
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そこから車で、諏訪湖畔を走る。
みずべ公園にやってきた。
ここは諏訪湖越しに富士山を望むフォトスポット。
みずべ公園
〒393-0045 長野県諏訪郡下諏訪町6151
0266-27-1111
駐車場
さらに車で走る。
温泉寺(おんせんじ)に到着。
温泉寺なので手水が温泉かと思ったら冷たかった(苦笑)
諏訪湖の先に真っ白に冠雪した北アルプスが見える。
今回は北側の駐車場に停めたが、南側に大きな駐車場がある。
本堂
梵鐘は長野県宝に、鉄塔などは諏訪市有形文化財に指定されている。
まず案内看板でルートを確認。
梵鐘は織田信長が武田勝頼を攻めた時に陣鐘としてここまで引いてきて捨てたもの。
温泉寺は高島藩の菩提寺。
臨済宗妙心寺派の寺だ。
高島藩二代目藩主・諏訪忠恒が下諏訪の『慈雲寺』の泰嶺和尚を開山として1640年(寛永17年)に創建した。
山門の先に諏訪湖が見えて美しい。
山号は臨江山。
明治3年の火災で焼失したため、高島城から移築された。
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経蔵。
安永9年(1780)初代立川和四郎冨棟の手になる八角八面の輪蔵があり、その中に黄檗板(おうばくばん)大経蔵が納められている。
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本堂。
中部四十九薬師霊場7番札所。
本堂は高島城から移築された能舞台。
本尊は薬師如来。
多宝塔
多宝塔。
地蔵像は京都九条関白家より文化年間(1804〜1814)に拝領したもの。
多宝塔には諏訪大社上社本宮の御神体、石造りの鉄塔が安置されている。
弘法大師が建てたものが腐朽したため源頼朝が再興したといわれている。
寛永8年(1631)高島藩主諏訪忠恒が石造りで復興し、この仏舎利を祀った。
明治の神仏分離で撤去された。
現在の多宝塔に納められたのは昭和54年だった。
御柱が建っている。
和泉式部の墓
桜のトンネル。
樹齢約370年のシダレ桜。
藩主諏訪忠恒が大坂夏の陣に出陣した際に持ち帰って植えた桜。
諏訪市天然記念物に指定されている。
高島城も桜がきれいそうだった。
和泉式部の墓まで歩いてきた。
大河ドラマに出てきたばかりなので感慨深い。
さすがに古そうだ。
この上には高島藩主諏訪家墓所があり国の史跡に指定されている。
庭園
多宝塔から下ったところに日本庭園がある。
池泉回遊式庭園。
心字池。
滝石組。
手長神社に向かう。