石見銀山とは
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市大森町(しまねけんおおだしおおもりちょう)にある日本最大の銀山だ。
日本を代表する鉱山遺跡『石見銀山』は、1967年に県指定史跡、1969年に国指定史跡となり、2001年にはユネスコ世界遺産候補として暫定リスト入りし、2007年7月に世界遺産として正式登録された日本最大級の銀山です。
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて大量の銀を産出し、その鉱脈は石見國東部に位置する現在の島根県大田市大森の地を中心として、同市仁摩町や温泉津町まで広がる大規模なものでした。
石見銀山世界遺産センター
島根県大田市大森町 イ1597−3
0854-89-0183
石見銀山世界遺産センター
2021年11月21日、この日は温泉津温泉薬師湯(ゆのつおんせんやくしゆ)で入浴した。

そこから車で、石見銀山世界遺産センター(いわみぎんざんせかいいさんせんたー)にやってきた。
駐車場はとても広い。
石見銀山世界遺産センターは石見銀山観光の拠点となっていて、ここから周回バスが発着している。
展示テーマは石見銀山が世界遺産に登録された「3つの価値」と、1996(平成8)年から進めてきた「石見銀山遺跡総合調査の成果」という、計4つのテーマから構成されています。
展示の概要 | 石見銀山世界遺産センター(島根県大田市大森町) / Iwami Ginzan World Heritage Center(Shimane Pref, Japan) から引用
ただ2,800円とかなりお高め。
普段は入れない大久保間歩へのガイド付きのツアーも開催されている。
内部はこんな感じ。
展示施設は310円だが、waonカードで買うと50円引き。
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて日本は世界の銀の約3分の1を産出したと推定され、石見銀山はその大部分を占めていた。
30kgもある銀の延べ棒を持ち上げられるが・・・
あ〜コシがぁ〜。
坑道の模型が衝撃的。
石見銀山公園駐車場
石見銀山世界遺産センターから車で移動。
石見銀山公園駐車場にやってきた。
この駐車場は観光用に駐車することはできず順番待ちもできないと言われたが、ちょうど出庫した車がいて代わりに停めることができた。
まず案内看板でルートを確認。
顔出し看板があったら、やるしかない(笑)
道中
石見銀山世界遺産センターでもらった地図を見ながら、歩いて行く。
渡辺家住宅に到着。
大森小学校まで歩いてきた。
下河原吹屋跡(しもがわらふきやあと)
江戸時代初めの銀精錬遺跡だ。
発掘調査によって初めて発見された17世紀初頭(江戸時代初め)の銀精錬遺跡。
鉱石を砕いた要石などが残っています。ここでは、鉛を利用した「灰吹」法と呼ばれる精錬法で銀を取り出していました。
このあたりは日本三大瓦の一つの石州瓦(せきしゅうがわら)の産地で、河原が茶色い。

西本寺は、浄土真宗本願寺派の寺だ。
豊栄神社。
祭神は、毛利元就(もうりもとなり)
極楽寺。
福神山間歩(ふくじんやままぶ)まで歩いてきた。
間歩(まぶ)とは、鉱山の掘り口のことだ。
あちこちに間歩がある。
高橋家は、銀山町年寄山組頭だった。
銀山町年寄山組頭の遺宅で茶室を設け、付属建物では酒造なども行なっていたという銀山屈指の建築。
「山組頭」は鉱山の取締役で鉱夫の人事や物資の購入などを担当していました。
[住所] 島根県大田市大森町
今でも発掘調査をしているようだ。
龍源寺間歩
龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)まで歩いてきた。
龍源寺間歩は、唯一常時公開されている間歩だ。
間歩とは鉱山の掘り口のことで、龍源寺間歩は世界遺産・石見銀山遺跡の中で唯一、常時公開されている坑道です。中は冬あたたかく夏はひんやりとしています。壁面には当時ノミで掘り進んだ跡がそのまま残っており、また排水のため垂直に100mも掘られた竪坑も見ることができ、石見銀山絵巻等の展示もあるなど、当時の石見銀山の姿を体感できる場所です。
龍源寺間歩は江戸時代中頃に開発されたもので、長さは600mに及びます。大久保間歩に次ぐ大坑道で、良質の銀鉱石が多く掘り出されました。閉山したのは昭和18年といわれ、約230年もの間、間歩の開発が行われました。石見銀山遺跡は、2007年に鉱山遺跡としてはアジアで初の世界遺産に登録されました
入場料は410円。
いよいよ坑道へ。
坑道は低く、頭をぶつけそうだ。
おばあでもきついそうです。
1309年に周防の大内弘幸が銀を発見したという伝説があり、この頃から採掘されていたようだ。
戦国時代はこの銀山を巡って、大内氏と尼子氏による争奪戦が続いた。
その後毛利氏が手中に収めたことで、毛利氏は大名として勢力を伸ばした。
さらに豊臣秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも充てられた。
徳川幕府による慶長丁銀は基本通貨として広く流通するようになった。
1943年に閉山となった。
坑道を出てきた。
帰路
佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)
鉱山の守り神である金山彦命を祀っている。
鉱山の守り神である金山彦命を祀る神社。1434年頃、室町幕府将軍の命で建立され、毛利氏など戦国大名たちから崇敬保護されました。
今の建物は、1819年に再建されたもの。銀山に暮らす人々の心のよりどころとなっていた神社です。
来る時は車道を歩いてきたが、帰りは遊歩道を通ることにした。
きれいに整備されている。
吉岡出雲の墓を通過。
吉岡出雲は鉱山管理に腕を振るい、徳川幕府に莫大な利益をもたらした。
大久保は吉岡に任務を与え、幕府が管理していたいくつかの鉱山へと送りました。その鉱山には伊豆(現在の静岡県)の銀鉱山や、佐渡島(新潟県)の相川金銀山が含まれていました。吉岡は素晴らしい成果を上げ、名声、富、そして「出雲」という称号を手に入れました。(出雲という名前は石見銀山の東に位置する国名です。)吉岡出雲が1614年に死去すると、その地域で最も名誉ある寺社の一つであった極楽寺にて埋葬されました。極楽寺はずいぶん前に無くなってしまっていますが、1813年に彼の子孫たちによって再び立てられた吉岡出雲の墓石は、かつて寺の墓地があった場所に残されています。
吉岡出雲墓 | 石見銀山世界遺産センター(島根県大田市大森町) / Iwami Ginzan World Heritage Center(Shimane Pref, Japan) から引用
清水寺(せいすいじ)
福石庵
途中のお店に入ってみた。
福石庵
島根県大田市大森町ニ84
古民家を改装したようだ。
メニューはこんな感じ。
おばあはオムカレー。
おばあのいない間に味見するおじい(笑)
辛さ控えめですね。
オムレツがトロッとしていて、柔らかい味になっています。
俺はローストビーフ丼。
ローストビーフがたっぷり乗っている。
甘辛いタレがローストビーフによくマッチしています。
このお店は民泊もされている。
帰路
食事を終え、さらに歩いて行く。
大安寺跡を通過。
妙正寺を通過。
駐車場まで戻ってきた。
立川PA
車で先に進む。
瀬戸大橋を渡る。
高知自動車道の立川PA(たぢかわぱーきんぐえりあ)に立ち寄る。
改装してから初めて立ち寄った。
NEXCO西日本四国支社(高松市朝日町、支社長:松本 浩志)、西日本高速道路サービス・ホールディングス株式会社四国支社(高松市朝日町、支社長:今福 重徳)及び西日本高速道路リテール株式会社(大阪市北区、代表取締役社長:古賀 喜治)は、建替工事を実施していましたE32高知自動車道 立川(たぢかわ)パーキングエリア(PA)(下り線:高知方面)を、令和3年9月18日(土曜)にリニューアルオープンします。
高知県に入って最初の休憩施設となる立川PAは、古くから旧土佐街道の関所が置かれていた地に位置し、まさに『高知県の玄関口』ともいえるロケーションです。高知県の魅力をギュッと詰め込んだ新しい立川PAで、高知県への旅のワクワク感を醸成していただけます。
E32高知自動車道 立川PA(下り線)9月18日(土曜)にリニューアルオープン! | NEXCO 西日本 企業情報 から引用
テイクアウトコーナーは、メニューが増えたようだ。
スナックコーナーでは、四国山地の新しい特産であるジビエを取り入れた「やまくじら(猪肉)丼」や、海の幸を生かした「かつおのたたき定食」など“山海の幸”を体感できる新メニューをご提供するほか、テイクアウトコーナーでは名物の「バーベキュー」(牛串)をお楽しみいただけます。ショッピングコーナーでは、「銀不老かりんとう」や馬立・立川両PA限定の「茶どら」など地域の名産品を数多く取り揃えています。
E32高知自動車道 立川PA(下り線)9月18日(土曜)にリニューアルオープン! | NEXCO 西日本 企業情報 から引用
車で帰宅した。
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