高遠城址とは
高遠城(たかとおじょう)は、長野県伊那市高遠町東高遠(ながのけんいなしたかとおまちひがしたかとお)にある城跡だ。
国の史跡に指定されている。
武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城は、明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1875年)に公園となりました。高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となりました。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。
高遠城跡
長野県伊那市高遠町東高遠
駐車場
2022年10月9日、この日は高遠(たかとお)の町を歩いた。
そこから車で、高遠城址(たかとおじょうあと)にやってきた。
駐車場はとても広い。
案内所
日本百名城に指定されている。
小屋があるので有料駐車場かと思ったら、無料だった。
ここで案内地図をもらい、係の人に説明してもらう。
グルリと周回できるようだ。
南曲輪が工事中だそうだ。
二の丸
二の丸まで歩いてきた。
1871年の廃藩置県で廃城になった後、桜を移植したことにより桜の名所となっている。
向こうに見えるのは、国の登録有形文化財の指定を受けた高遠閣。
桜雲橋まで歩いてきた。
約1,500本のタカトオコヒガンザクラが植えられている。
堀は全て空堀だそうだ。
問屋門をくぐる。
城下町から移築されたものだそうだ。
本丸
130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本と、古い桜が多い。
新城神社まで歩いてきた。
由緒書き。
1831年の創建。
織田信長の長男信忠と戦って戦死した武田信玄の五男仁科五郎盛信を祀る。
帰路
向こうに見えるのは、高遠城太鼓櫓。
移築した物だという。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 803 m
最低点の標高: 796 m
累積標高(上り): 16 m
累積標高(下り): -16 m
総所要時間: 00:19:16