造山古墳とは
造山古墳(つくりやまこふん)は、岡山県岡山市北区新庄下(おかやまけんおかやましきたくしんじょうしも)にある古墳だ。
全国第4位の規模の前方後円墳で、国の史跡に指定されている。
全国第4位の規模をも持つ、5世紀前半の前方後円墳です。全長約350m、後円部径約224m、高さ約27~32.5mで三段築成。後円部墳頂には形象埴輪、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列が認められます。
墳丘上まで上がることができる全国最大の前方後円墳。6基の陪塚(ばいづか)があり、馬形帯鈎が出土した榊山古墳、直弧文が彫られた石障をもつ千足古墳が著名です。(第1・2・3・4・5・6古墳)
造山古墳
岡山県岡山市北区新庄下
ビジターセンター
2023年3月28日、前日は清音ふるさとふれあい広場を歩いた。

宿泊している「そうじゃお試し住宅」を出発。

造山古墳ビジターセンターにやってきた。
造山古墳ビジターセンター
岡山県岡山市北区新庄下789
086-803-1332
まずビジターセンターに向かう。
造山古墳(つくりやまこふん)は、全国第4位の規模の前方後円墳だ。
国の史跡に指定されている。
まず案内看板でルートを確認。
コースタイムは3時間30分だ。
まずビジターセンターに入る。
造山古墳(つくりやまこふん)の周囲には、たくさんの古墳が点在している。
説明看板。
弥生時代に稲作が伝わると、強大な勢力が現れた。
吉備(きび)は稲作で発展を遂げた。
朝鮮半島とも交易を行い、王が生まれた。
107年に中国に使節を送った「和国王帥升(わこくおうすいしょう)」だと考えられている。
交易を支配し、大和朝廷に次ぐ規模を誇った。
造山古墳(つくりやまこふん)は5世紀前半の築造とされている。
全国第4位の規模で、上に登れる古墳としては日本最大だ。
奈良時代の官僚下道真備(しもつみちのまきび)は右大臣まで昇進し吉備真備と改名した。
「吉備(きび)」の出身ということを誇りに思っていたのだろう。
鬼ノ城にいた温羅(うら)が吉備津彦命(きびつひこのみこと)に成敗された。
これが「桃太郎伝説」とされる。

吉備津彦命は吉備津神社に祀られている。

造山古墳は墳丘は約350mの前方後円墳だ。
荒神社
ビジターセンターを出て、歩いて行く。
造山古墳に上る階段は、なかなか急だ。
お社がある。
荒神社(こうじんじゃ)だ。
前方部の高さ25mの場所に位置する。
奈良県の古墳は大和朝廷の墓のため宮内庁管轄だが、ここは吉備なので立ち入りできる。
内部はこんな感じ。
本殿はこんな感じ。
地図にはなかったが、ビジターセンターと反対側に下りられる道がある。
造山古墳の説明看板。
墳長350m、後円直径200m、高さ24m、前方幅215m。
全国で第4位、立ち入りできる古墳としては最大の古墳だ。
桜が見頃だ。
前方と後円の間の鞍部が公園になっている。
後円墳まで歩いてきた。
ここは羽柴秀吉の毛利攻めの際、毛利方が陣地を設けるために頂上を平らにしたそうだ。
見下ろすとこんな感じ。
先に進んだ。
