須原宿とは
須原宿(すはらじゅく)は、長野県木曽郡大桑村(ながのけんきそぐんおおくわむら)にある中山道39番目の宿場だ。
木曽十一宿のうち「須原宿」は、今もなお昔ながらの街並みが懐かしさを感じさせてくれます。須原宿は木曽谷の中では一番古くに栄えた歴史ある宿場町です。宿場のなかでも道幅が広く、格子戸の街並みが残されています。
昔から清水が湧き、今も丸太をくりぬいた「水舟」が各所に置かれています。住民(須原宿景観形成住民協定運営協議会)により、水舟の改修がおこなわれています。
須原ばねそ(はね踊り)と定勝寺(国の重要文化財)が知られており、幸田露伴「風流仏」の舞台にもなった宿場です。
須原宿・野尻宿エリア から引用
『須原宿』中山道39番目の宿場の旅!水舟が置かれた風情ある街並み!【旅行VLOG、レビュー】島崎藤村の小説の舞台や脇本陣跡、本陣跡など見どころ満載!定勝寺、岩出観音、池口寺なども必見!
須原宿
2024年4月29日、この日は大桑村歴史民俗資料館を見学した。
そこから国道19号線を渡り、須原宿(すはらじゅく)にやってきた。
丸太をくりぬいた「水舟」が各所に置かれている。
中央アルプスの天然水。
旧中山道まで歩いてきた。
それっぽい灯籠が置かれている。
阿弥陀堂跡まで歩いてきた。
奥に見えるのは鹿島神宮。
中山道39番目の宿場だ。
木曽谷の中では一番古くに栄えた歴史ある宿場町だった。
木曽川の氾濫で流失し、享保2年(1717年)に現在地へ移転した。
島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台となった清水医院跡。
正岡子規の句碑。
「寝ぬ夜半を いかにあかさん山里は 月いつるほとの 空たにもなし」
ここが旧脇本陣。
西尾家は中山道制定と同時に問屋、庄屋も兼ねた脇本陣であった。
向かいが本陣跡。
今は面影はない。
郵便局もこのデザイン。
渋い民宿があった。
営業している雰囲気ではない。
ここが枡形。
枡形(ますがた)とは敵の侵入を阻むために、わざと道を曲げたところ。
定勝寺
定勝寺(じょうしょうじ)にやってきた。
定勝寺
〒399-5502 長野県木曽郡大桑村須原831−1
0264-55-3031
紅葉したら素晴らしいだろう。
明治13年(1880年)明治天皇中山道御巡幸時、本寺庫裡書院にてご昼食をとられた。
木曽三大寺のひとつとされる。
臨済宗妙心寺派の寺だ。
本尊は釈迦如来。
山門・本堂・庫裏が国の重要文化財に指定されている。
嘉慶年間(1387年〜1388年)に木曾親豊により開基、初屋和尚が開山したとされる。
現在の建築物は慶長3年(1598年)に木曾代官の石川光吉が、木曾義在居館跡に建立したもの。
境内はこんな感じ。
拝観料は300円だが、受付の人がいなかった(汗;)
お饅頭のお土産付き。
庭園は平成5年(1993)に岡谷市出身の作庭家・小口基實(おぐち もとみ)によって作庭された。
蓬莱庭園の由緒書き。
国の重要文化財に指定されている庫裡(くり)
内部にはお釜があった。
中庭はこんな感じ。
こちらは方丈。
東洋一の木曽ひのき製「定勝だるま」大坐像。
うぐいす廊下になっている。
梵鐘を見に行く。
人間国宝で日本芸術院会員の香取正彦氏の作だそうだ。
鐘は衝かないでください。
山門は万治4年(1661年)の建立。
国の重要文化財に指定されている。
木曽西国三十三ヶ所観音霊場第21番霊場になっている。
水舟の里水場案内図。
岩出観音
藤娘??
大桑村の公民館「橋場分館」まで歩いてきた。
岩出観音(いわでかんのん)に到着。
岩出観音
〒399-5502 長野県木曽郡大桑村須原1431−8
0264-55-4566
投入堂(なげいれどう)みたい。
カエデが有名らしい。
だいぶ腐食している。
後は大岩盤。
由緒書き。
別名を伊奈川観音、橋場観音という。
伝説によると橋場集落で、年老いた馬沓の職人が住んでいました。
ある日、中山道を利用する武士が職人の店を訪れ、馬沓を求ましたが、あいにくその日は片足分しか無く、丁寧に断ったものの、それでもと武士は片足分を求め去っていきました。職人は片足だけだと力が平等に伝わらず怪我や負担が重くなる事を知っていたので、馬の身を案じると共に、自分の職人としての配慮が欠けていた事を恥じ、急いでもう片方を作り、武士を追いかけました。大島の曲がり角でようやく追いついて馬沓を渡すと、武士は年老いた職人に心を打たれ、多大な代金を支払おうとしましたが、逆に職人は自分のおろかさを語り代金を受け取らず立ち去ろうとしました。すると、武士はその心意気は天晴れな事であるとし、近くに落ちていた板の切れ端に筆を取り「馬頭観世音菩薩」と書き込むと職人に代金の代わりとして手渡し、この板はただの板では無い、信じて信仰すれば幸運を授かる事が出来るだろう、と語り去っていきました。職人は半信半疑ではありましたが、早速、神棚に掲げ熱心に手を合わせていると、不思議な事にその板が神々しい光を放つようになりました。職人は、この板は個人で所有するものではないと悟ると、妙心寺(京都市右京区花園:臨済宗妙心寺派大本山)の住職に事情を話し、その助言を持って観音像を彫刻し、胎内に板を治め、一宇を設けて本尊として迎え入れたと伝えられています。
岩出観音(長野県木曽郡大桑村須原)は木曽路(中山道)の宿場町である須原宿の外れ、橋場集落に位置しています。丸山観音(長野県木曽郡木曽町)、岩華観音(長野県木曽郡木曽町)と共に三大馬頭観音に数えられ木曾街道六十九次版画の「伊奈川橋遠景」にも描かれています。現在の観音堂は定勝寺19代住職が江戸時代後期に再建したもので清水寺(京都府京都市東山区清水)と同じ様形式である懸崖造りが印象的です。
岩出観音伝説(大桑村須原) から引用
長い!
池口寺
発電所の前を歩いて行く。
伊奈川橋を渡る。
ガードレールをまたげず、ショックを受けたおばあ。
国道19号線から横道にそれる。
木曽川を渡る。
殿大橋(とのおおはし)
池口寺(ちこうじ)の駐車場まで歩いてきた。
池口寺
〒399-5501 長野県木曽郡大桑村殿1121−1
0264-55-4026
臨済宗妙心寺派の寺だ。
池口寺(ちこうじ)の由緒書き。
937年に源義寛が明雲僧正に開山させた。
1574年に禅宗に改宗。
特に女性から信仰され、母乳授かりに御利益があるとされる。
中部四十九薬師霊場第23番札所。
山門。
山号は瑠璃山。
本尊は釈迦如来。
立てば芍薬?
牡丹ですね。
文殊菩薩と普賢菩薩。
薬師堂は長野県宝に指定されている。
鎌倉時代後期に造営された。
白山神社
白山神社(はくさんじんじゃ)に到着。
石段にビビるおばあ。
元弘4年(1334年)に建立された。
祭神は菊理姫尊(くくりひめのみこと)
霊峰白山をご神体とする。
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)を本宮とする。
白山神社、熊野神社、伊豆神社、蔵王神社の4社殿が鎮座し、現存する社殿建築としては信濃最古のものだという。
帰路
帰りは国道19号線を歩いて行く。
大桑村(おおくわむら)スポーツ公園に戻ってきた。
最高点の標高: 563 m
最低点の標高: 502 m
累積標高(上り): 288 m
累積標高(下り): -297 m
総所要時間: 02:36:28