平出遺跡とは
平出遺跡(ひらいでいせき)は、長野県塩尻市宗賀(ながのけんしおじりしそうが)にある遺跡だ。
縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡で、国の史跡に指定されている。
国史跡平出遺跡は、日本三大遺跡に数えられる大きな遺跡です。JR中央本線塩尻駅から南西に約2キロメートル、ぶどう畑が一面に広がる「桔梗ヶ原」にあります。遺跡は平出の泉から流れ出る渋川に沿って東西約1キロメートル、南北300メートルの範囲にわたって帯状に広く展開しています。
平出遺跡 | 塩尻市観光協会 から引用
平出遺跡
〒399-6461 長野県塩尻市 宗賀388−2
0263-52-3301
日本三大遺跡!縄文から平安まで見られる!長野県塩尻市にある平出遺跡の魅力を発見!【旅行VLOG、レビュー】平出の泉〜平出遺跡〜本棟造り家屋群〜伊夜彦神社4kmウォーキング!
平出の泉
2024年5月6日、この日は塩尻市立平出博物館(しおじりしりつひらいではくぶつかん)を見学した。
そこから歩いて行く。
平出の泉まで歩いてきた。
平出の泉
〒399-6461 長野県塩尻市宗賀867−3
この泉の恩恵で原始・古代の大集落平出の遺跡が発展した。
「石灰岩の空洞に集まった伏流水が鍾乳洞の出口から湧き出しているとされている。水温があまり変化しない清冽な泉は四季満々と湛えられていて、長形63m、短形36mであり、最大水深は約6m。今の堤は江戸時代に田用水として貯水を目的に築かれたもので、この泉の恩恵で原始・古代の大集落平出の遺跡が発展した。」
長形63m、短形36m、最大水深6m。
石灰岩の空洞に集まった伏流水が鍾乳洞の出口から湧き出しているとされている。
年1回清掃のために水を抜いているそうだ。
古墳時代の村
平出遺跡 古墳時代の村まで歩いてきた。
平出遺跡 古墳時代の村
〒399-6461 長野県塩尻市宗賀
国の史跡に指定されている。
背後は北アルプスがそびえる。
現在までに290棟をこえる竪穴建物跡、掘立柱建物跡、それに伴う多くの土器、石器、鉄器類が発掘されている。
縄文時代から平安時代までの大集落。
広いねぇ〜!
日本三大遺跡に数えられる。
駐車場では何かイベントが開催されているようだ。
復元住居や建物が15棟ある。
中に入れる。
遺跡公園
遺跡公園になっている。
この先が平安時代の村。
ガイダンス棟に入ってみる。
入館無料。
イベント会場
テレビ局が撮影していた。
建物の大きさで家族の力が分かるそうだ。
イベント会場にはキッチンカーが並んでいる。
平安時代の村
平安時代の村まで歩いてきた。
平出遺跡 平安時代の村
〒399-6461 長野県塩尻市宗賀451−3
50軒以上の住居跡が見つかった。
古墳時代の住居とは少し形式が異なる。
掘っ立て小屋。
伊夜彦神社
遺跡公園を出てきた。
周辺は長野県独特の本棟造り(ほんむねづくり)と呼ばれる民家が建ち並ぶ。
本棟造(ほんむねづくり)は、長野県の中信地方から南信地方にかけて分布する民家の形式である。切妻造り妻入り、ゆるい勾配の屋根、雀おどしと呼ばれる棟飾り、正方形の間取りなどが特徴。重要文化財に指定されている堀内家住宅や馬場家住宅などが有名。
本棟造 – Wikipedia から引用
津和野(つわの)みたい。
伊夜彦神社(いやひこじんじゃ)にやってきた。
平出遺跡近く、本棟造りの民家が密集した場所に建つ。広々と開けた社地には、正面に拝殿、右手に社務所が置かれている。拝殿の背後には立川流の一間社流造の本殿があり市有形文化財に指定されている。唐獅子や龍、松に鷹。滝登りの鯉などが彫られ立川流の特徴が表れている。
伊夜彦社 | 塩尻市観光協会 から引用
伊夜彦神社
〒399-6461 長野県塩尻市宗賀1003
創建は不明だが、遅くとも室町後期には確立されていた。
現在の境内は江戸後期以降のもので、本殿は市指定の文化財。
弥彦神社(新潟県弥彦村)を勧請して現在の社名に改めた。
祭神は、天香山命(あめのかぐやまのみこと)
車で先に進んだ。
最高点の標高: 781 m
最低点の標高: 725 m
累積標高(上り): 67 m
累積標高(下り): -67 m
総所要時間: 01:37:19