小野宿とは
小野宿(おのじゅく)は、長野県上伊那郡辰野町小野(ながのけんかみいなぐんたつのまちおの)にある三州街道の宿場だ。
かつては中山道の宿場町だったが、江戸時代に中山道は塩尻宿経由のルートに変更された。
小野宿問屋
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野952−1
0266-41-1681
初期中山道の宿場【小野宿】を歩いてみた!三州街道との連結点!【古民家探訪】国の登録有形文化財・小野宿問屋を徹底解説【旅行VLOG、レビュー】「枕草子」に「憑(たのめ)の里」として記された歴史ある場所
古田晁記念館
2024年10月13日、この日は沢底(さわそこ)の道祖神に参拝した。
そこから車で、国道153号線を走る。
古い街並みが続くこの辺りが小野宿(おのじゅく)だ。
まず古田晁記念館(ふるたあきらきねんかん)に向かう。
小野郵便局方面に曲がる。
古田晁記念館(ふるたあきらきねんかん)に到着。
駐車場は記念館の中にある。
今回はバックで進入した。
古田晁記念館
〒399-0651 長野県塩尻市 大字北小野3035−3
0266-46-2922
小野宿の一角に古田晁記念館がある。
古田晁(ふるたあきら)は筑摩書房創立者で、日本の出版文化の発展に尽くした。
塩尻市が遺族から生家の庭園と土蔵を寄付され、1996年に開館した。
古田晁記念館は、筑摩書房創立者として日本の出版文化の発展に尽くされた古田晁氏の遺徳を顕彰するために、ご遺族から寄付された生家の土蔵を改修し、1996(平成8)年10月30日に開館しました。
古田晁記念館/塩尻市公式ホームページ から引用
門は国の登録有形文化財に指定されている。
戦時中から戦後にかけて古田晁を慕い、宮本百合子、中野重治をはじめ宇野浩二、辰野隆、渡辺一夫、貝塚茂樹、唐木順三、臼井吉見など多くの著名な作家や学者が訪れ、この展示室2階の和室で語らい、また、創作活動をしたという。
残念ながら内部は撮影禁止だった。
土蔵が展示室になっており、国の登録有形文化財に指定されている。
渡廊下がつけられている。
展示室には川端康成など、おじいでも知っている文人との書簡などが展示されていた。
ロダンの彫刻もあった。
記念館を出て、小野宿に向かう。
そのまま駐車していていいというのがありがたい。
祭林寺
この辺りは古い街並みが残っている。
辻地蔵まで歩いてきた。
辻地蔵
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野
その隣が祭林寺(さいりんじ)
小野の駒沢川河畔の高台の上に位置する大きな寺院は、曹洞宗の有富士山祭林寺です。本尊は華厳釈迦牟尼仏、総本山は横浜市鶴見の総持寺と越前の永平寺の両寺だとか。
鎌倉時代中期の1278年、僧弘秀によって駒沢川上流の天神山の麓に開基されたそうです。
祭林寺 小野宿街あるき から引用
祭林寺
〒399-0601 長野県上伊那郡辰野町小野1194
0266-46-2009
祭林寺(さいりんじ) は1278年に弘秀によって開基された古刹だ。
当初は真言宗の寺院で西蓮寺という寺号だったが、文明年間(15世紀末)にいったん途絶えてしまった。
1574年に曹洞宗の禅暁が禅寺として再興したが、火事などでたびたび堂宇を失ってきた。
1964年に梵鐘と鐘楼を再建した。
そして1987年から90年にかけて庫裏客殿などを改築した。
本尊は華厳釈迦牟尼仏。
見事な石庭がある。
小野宿
小野酒造。
元治元年(1864年)の創業という伊那谷で操業する最古の蔵元だ。
巨大な庚申塚がある。
国道153号線まで歩いてきた。
小野酒造は「夜明け前」という銘柄を醸している。
島崎藤村の小説「夜明け前」の主人公 青山半蔵のモデルとなった父の島崎正樹と小野は深い交流があったことから命名された。
フルーティーでまろやかな味わいの酒だという。
中仙道宿場町「小野宿」に蔵を構えた小野酒造は元治元年(1864年)創業。作家:島崎藤村の「夜明け前」と縁ある小野の地で、明治を迎える維新の時代(元治元年)であることにより「夜明け前」は昭和47年に島崎藤村生誕100年を記念して発売を考案いたしました。小野酒造店は、早くから備前や播磨等の良質米を原料として仕入れ徹底した精米を行い、優れた杜氏と共に研鑽を重ね、昔ながらの酒造りの手法を守りながら、新しい挑戦を行っています。 贅沢な造りの純米大吟醸です。フルーティーな香りとコクのあるまろやかな風味は極上の純米吟醸ならではのものです。蔵元杜氏曰く「梨やりんご様のさわやかな吟醸香味が柔らかに広がります。」
【楽天市場】★ 日本酒 正規特約 限定流通商品 長野県 小野酒造店 夜明け前 純米大吟醸 1800ml 数量限定 正規特約店 IWCシルバーメタル受賞:地酒・焼酎専門林屋酒店 から引用
駐車場完備。
天竜川の表流水を使っているそうだ。
その隣が小野光賢・光景(おのみつたか・みつかげ)記念館。
幕末から明治にかけて生糸貿易などで活躍した小野出身の実業家だそうだ。
内部には洋館もあるそうだ。
信州小野に唐突に現れた洋館にビックリ。
旧小野家住宅
旧小野家住宅まで歩いてきた。
土日祝日のみの開館なので、前回は閉まっていた。
本棟造りという独特の建物。
安政6年(1859年)3月の大火災後に建築された本棟造りの宿駅民家。
内部はこんな感じ。
囲炉裏の上は抜けている。
さっき歩いてきた道が小野宿の街並み。
ビデオで勉強。
この地は平安時代から栄え、清少納言の「枕草子」に「憑(たのめ)の里」として記されている。
東西に横断する「初期中山道」と南北に縦貫する「旧伊那街道」が交錯する交通の要衝の地であった。
2階への階段はロープを手すり代わりに(笑)
屋根の勾配のせいで天井が低い。
なんか懐かしいね。
厨房。
女の子が案内してくれた。
言葉遣いもしっかりしていて驚いた。
地域住民全員で盛り上げようとする意欲を感じた。
バカなおばあ。
厠はまさかの温水便座。
おじいの何倍も詳しいガイド(苦笑)
蔵は入れなかった。
旧雨沢村
隣は旧小野郵便局局舎。
その先が境界線になっている。
その先は旧雨沢村。
かつては別の国だった。
ここが雨沢村の小野宿問屋。
松本城主石川数正と飯田城主毛利秀頼が争った。
領地争いが熾烈で、神社も小野神社と矢彦神社に分かれている。
豊臣秀吉が仲裁した。
旧小野家住宅の向かいは、現在はコミュニティセンターとなっている。
塩の道の終点の地がある。
太平洋側から運ばれた塩はここまでで、これより北は日本海側からの塩の道で運ばれた。
善知鳥(うとう)峠は日本海、太平洋の分水嶺になっている。
祭林寺まで戻ってきた。
帰りは国道沿いに進む。
車で先に進んだ。