桑名宿とは
桑名宿(くわなじゅく)は、三重県桑名市(みえけんくわなし)にある東海道五十三次42番目の宿場だ。
江戸時代、桑名宿は伊勢の国への玄関口の宿場町として栄えました。
東海道五十三次 桑名宿案内板
〒511-0081 三重県桑名市片町30−1
本多忠勝の城下町を歩く!【東海道五十三次】桑名宿でハマグリを食べてみた!【旅行VLOG、レビュー】屈指の難路『七里の渡し』には伊勢神宮の鳥居!国の名勝になっている庭園を持つ大邸宅『六華苑』!
駐車場
2025年1月8日、この日は岐阜県海津市(ぎふけんかいづし)にある国営木曽三川公園(こくえいきそさんせんこうえん)を歩いた。

そこから車で、県道106号線(桑名海津線)を走る。
8.2kmにわたって1つも交差点が存在しないという珍しい道路だ。
左は長良川(ながらがわ)右は揖斐川(いびがわ)
明治時代に作られた揖斐・長良川の背割提に作られた道路。
終点は伊勢大橋。
伊勢大橋を渡って、すぐに左折する。
六華苑(ろっかえん)にやってきた。
駐車場はとても広い。
ここは国営木曽三川公園(こくえいきそさんせんこうえん)の一部だ。
東海道の桑名宿(くわなじゅく)で、宮(みや)に渡し船が出ていた。
六華苑
六華苑(ろっかえん)は旧諸戸清六(もろと せいろく)邸だ。
1913年(大正2年)に竣工した。
六華苑(旧諸戸清六邸) は、山林王として知られた実業家、二代諸戸清六の新居として明治44 年に着工、大正2 年に竣工されました。
揖斐・長良川を望む約18,000 ㎡の広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの建造物群と「池泉回遊式」庭園で構成されたこの邸宅は、一部の改修と戦災を受けたものの、創建時の姿をほぼそのままにとどめています。
六華苑|六華苑について から引用
六華苑
〒511-0009 三重県桑名市桑名663−5
0594-24-4466
残念ながら動画撮影禁止。
邸宅は見学コースの外まで続いていた。
どんだけや。
これが個人の所有ですからね。
諸戸清六は、山林王として知られた実業家。
約18,000平方mの広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの建造物群と「池泉回遊式」庭園で構成される。
鹿鳴館やニコライ堂などを手がけ「日本近代建築の父」とも呼ばれたイギリス人建築家 ジョサイア・コンドルが設計した。
国の重要文化財に指定されている。
4層の塔屋を持つ洋館と、和風建築がある。
平成3年に桑名市が土地を取得し、建物は諸戸家からの寄贈を受け、平成5年に一般公開した。
庭園は国の名勝に指定されている。
七里の渡し
六華苑(ろっかえん)を出て七里の渡し(しちりのわたし)に向かう。
七里の渡し(しちりのわたし)に到着。
七里の渡跡
〒511-0011 三重県桑名市東船馬町
七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路で、かつての官道。
熱田から桑名まで海路七里あったことから「七里の渡」と呼ばれている。
熱田から桑名まで海路七里あったことから「七里の渡」と呼ばれています。
当時は東海道五十三次の42番目の宿場町として大変なにぎわいを見せました。
ここに立つ大鳥居は、ここから伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称されています。
熱田の方から船で来てここへ渡ってきて、ここからまた東海道を歩いて行く。
ここに立つ大鳥居は、ここから伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称されている。
三重県指定文化財(史跡)に指定されている。
天明年間(1781年 – 1789年)に矢田甚右衛門と大塚与六郎が発起人となって建立された。
現在の鳥居は2018年(平成30年)に伊勢神宮の式年遷宮で宇治橋外側の鳥居を当地に移したもの。
桑名宿(くわなじゅく)は東海道五十三次の42番目の宿場。
「宮の渡し」から「桑名の渡し」まで所要時間は約4時間であった。
このあとランチで寿司屋に行く予定。
安藤広重(歌川広重)の「東海道五十三次」には、桑名宿の「桑名七里渡口」という作品がある。
宮から船に乗り、伊勢湾を渡ったところにある桑名宿。この船旅を「七里の渡」と呼んでいました。
港の入口に建つのは桑名城。築城は天正の初め、滝川一益の手によってなされました。 桑名城と伊勢の海を背景に、いま二艘の船が港に入っていくところ、帆を下ろしつつある構図の動きにこの絵の魅力があります。大きく動く波の描写も重要な役目を果たしています。船と波の動的な船と波に反して、海上遙かな帆船は悠々とした静かさでこれも近景を生かしています。
俵寿司
東海道を歩いて行く。
俵寿司(たわらずし)に到着。
汽水域で育った名産「蛤」は絶品。
当店では「焼蛤」「煮蛤の握り」名物「焼蛤の蒸寿司」を堪能できます。
又「おいしいものをちょっとずつ」旬の味覚をそろえたランチ「俵膳」もおすすめです。
ぜひ「伊勢の国桑名」俵寿司におこし下さい。
俵寿司/伊勢国の玄関口 桑名市観光サイト から引用
俵寿司
〒511-0022 三重県桑名市江戸町7
0594-21-5454
店頭に写真入りでメニューが掲示されているので入りやすい。
店内はこんな感じ。
メニューはこんな感じ。
おばあは俵膳1,540円で、まず田楽が出された。
トロッとしていますね、甘い。
さらにこれだけ出された。
さすがお寿司屋さんって感じですね。
おいしいです。
撮らないで。もぉ〜!
おじいは蛤5個入りの蒸し寿司2,200円。
桑名に来たら蛤を食べないとね(笑)
桑名のはまぐりは殻(から)が大きく、形・色も美しいため将軍に献上されていた。
桑名のはまぐりは殻(から)が大きく、形・色も美しいため「貝合わせ」「膏薬(こうやく)の容器」などに利用され、桑名産が最も適していると賞賛(しょうさん)されたそうです。江戸時代になると歴代将軍に献上(けんじょう)され、他にもいくつかのはまぐりにまつわる話があります。
はまぐり/桑名市 から引用
味がよ〜く染みています。
寒い時は蒸し寿司がいいね。
高知の「菊寿司」の蒸し寿司が懐かしい。
おじいの原風景ですな、あれが。
爽やか〜。
俵膳のデザートはフルーツ。
チョコレートもついていた。
柿安
食事を終え、さらに東海道を歩いて行く。
新しく建てる時も風情のある感じで建ててくれるといいのだが。
東海道だからね。
昔の街道は狭い。
柿安があった。
柿安はここが本店。
2024年4月にリニューアルしたばかりだ。
明治4年(1871年)牛鍋店創業以来、150年以上の歴史を誇る肉の老舗、株式会社柿安本店(本社:三重県桑名市/代表取締役社長:赤塚保正、以下:柿安)は4月2日(火)に旗艦店である「精肉本店」(三重県桑名市)を全面リニューアルいたします。
本社を構える桑名市吉之丸の地名を由来とする「柿安 吉之丸本店」と店名も新たに、柿安の総力を結集した店舗へと生まれ変わります。
「老舗 柿安」の旗艦店が店名も新たに全面リニューアル! 『柿安 吉之丸本店』2024年4月2日(火)オープン|柿安本店 から引用
こちらは柿安の料亭本店。
柿安(かきやす)は明治4年(1871年)に牛鍋店として創業した。
売上高370億円、従業員数2,786名の東京証券取引所プライム市場上場企業だ。
九華公園
舟入橋(ふないりはし)は桑名城の三之丸堀に架かる橋。
橋のたもとに本多忠勝(ほんだ ただかつ)の銅像が建っている。
鹿角脇立兜(かのわきだてかぶと)という鹿の角が特徴の兜を使っていた。
本多忠勝(ほんだ ただかつ)は生涯で57回もの合戦に参陣して、ただの一度もかすり傷一つ負うことがなかったという。
徳川三傑・徳川四天王・徳川十六神将として崇められた。
ここが九華公園(きゅうかこうえん)で桑名城址だ。
桑名城跡の本丸及び二之丸跡を利用した公園で、約7.2haの広さがあります。
園内では4月に桜、5月につつじ、6月に花菖蒲まつりが行われています。九華公園は桜の名所としても楽しまれており、毎年「さくらまつり」が開催されます。ソメイヨシノ、しだれ桜、山桜など約450本が咲き誇り、夜桜も楽しめる桜の名所です。
九華公園に入ると土俵があった。
桑名城跡の本丸及び二之丸跡を利用した公園で、約7.2haの広さがある。
周囲に堀が巡らされている。
慶長6年(1601年)本多忠勝は桑名10万石の藩主となった。
4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞を建て、同時に城下町も整備した。
元禄14年(1701年)桑名市街地の過半を焼く大火に遭い、この際に天守も焼失し以後再建はされなかった。
文政6年(1823年)に松平(久松)定永が入城し鎮国守国神社を城内に勧進した。
昭和3年(1928年)に本丸・二之丸一帯を整備し九華公園とした。
桑名宿の地図があった。
本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇った。
鳥舎があるが、鳥は見えない(汗;)
二之丸堀。
ここが二之丸だった。
本丸に続く橋を渡るおばあ。
桑名城
鎮国守国神社。
毎年5月2日・3日の金魚まつりで知られる。
松平定綱(鎮国公)・定信(守国公)を祀り、毎年5月2日・3日の金魚まつりで知られる。
文政6年(1823年)に松平(久松)定永が入城し藩祖である松平定綱(鎮国公)と実父松平定信(守国公)を祀る鎮国守国神社を城内に勧進した。
天明4年(1784)白河(現福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。文政6年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移りました。
現在の社殿は大正8年(1919)に再建したもの。
剣が刺さっているのは桑名城天守台跡だ。
桑名城 天守台跡
〒511-0032 三重県桑名市吉之丸5−1
高龗神社(たかおかみじんじゃ)
高龗神は龍神、水神だ。
九華招魂社。
鎭國稲荷神社。
天罰が下るぞ。
蟠龍櫓
桑名城址を出て、柿安コミュニティパークを歩いて行く。
高潮堤防緊急嵩上事業竣工之碑。
ズラリと並ぶ長良川河口堰。
櫓のようなものは水門総合管理所。
蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)を復元したものだ。
2003(平成15)年に水門の管理棟として建てられた。
桑名城には、元禄大火後に再建された時点で51の櫓があったと記録されています。このなかでも、川口にある七里の渡に面して建てられていた蟠龍櫓は、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルでした。歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓を象徴的に描いています。
蟠龍櫓/桑名市 から引用
歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」に描かれている。
七里の渡しに入ってくる船の監視などの役割を果たしていた。
ボランティアの方が蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)について説明してくれた。
「蟠龍(ばんりゅう)」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のこと。
水の神様とされ海難除けを祈願して名付けられた。
住吉神社
住吉神社まで歩いてきた。
ここは住吉浦といい廻船の舟溜りで、全国から多数の廻船業者が集まっていた。
住吉浦は、廻船の舟溜りで、全国から多数の廻船業者が集まっていました。この人たちによって航海の安全を祈り、住吉神社(現大阪市)から勧請してこの住吉神社が建立されました。
航海の安全を祈り、正徳五年(1715年)に摂津国の住吉大社から勧請した。

神社前の石鳥居や石燈篭は江戸神社の材木商たちによって寄進された。
ここからの伊勢大橋・多度山方面の眺めは水郷桑名ならではの趣がある。
平成15年に社殿が新しく建て替えられた。
祭神は底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、表筒之男命(うわつつのうのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
車で先に進んだ。
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