明智光春(あけちみつはる)は本能寺の変(ほんのうじのへん)で織田信長(おだのぶなが)を討った明智光秀(あけちみつひで)の娘婿だ。
高知県南国市亀岩(こうちけんなんこくしかめいわ)に、明智光春の墓と伝わる墓があると聞いて、行ってみることにした。
この場所は、坂本城(土居城)と呼ばれている。
ちなみに坂本龍馬は、明智左馬之助光俊の子孫だったという説もある。
明智左馬之助光俊の子孫か?ということについては、明治16年に坂崎紫瀾が龍馬を主人公にした『汗血千里駒』という本を書いており、これが「明智後裔説」の初出の書物になります。その中の一説に「そもそも坂本龍馬の来歴を尋るに、其祖先は明智左馬之助光俊が一類にして、江州坂本落城の砌り遁れて姓を坂本と改め、一旦美濃国関ケ原の辺りにありしが、其後故ありて土佐国に下り遂に移住て」とありますが、坂本家の資料の中には、明智家との血縁関係を示す資料が残されていないため、両家の関係はわかりません。しかし、言い伝えとして、坂本家の中で受け継がれているようですから、資料がないことを理由に、否定することもできないと考えられます。
南国市にある坂本家初代の太郎五郎の墓には「弘治永禄の頃(1555~70年)畿内の乱を避け、土佐の国殖田郷才谷村に来り住む」とあります。これを正確なものと考えると、応仁の乱(1467~77年)以降混乱を極める畿内を避けて土佐に避難してきたと考えられます。
長宗我部元親の妻と、長男・信親の妻は、二人とも石谷氏の娘で、石谷氏は明智家と深い繋がりがあります。このことから考えても、坂本家が明智家と血縁関係があったならば、長宗我部元親を頼って、土佐に来る可能性もありえます。ただ、その場合、才谷村のような山間部ではなく、平野部の一定の領地を与えられてもおかしくはないことから、明智後裔説は疑問視されています。
坂本家初代は太郎五郎で、その墓にも行ってみたので参考にして欲しい。

駐車場
この日はパスタはっとりくんでランチを済ませた。

その後、車で瓶岩体育館(かめいわたいいくかん)にやってきた。
体育館へのアクセス道路に、北山越えの道の石碑がある。
近世になり土佐藩主の江戸への参勤は、室戸岬をまわる海路を使用していましたが、
天候による影響が大きいため、陸路の※野根山越え(奈半利町~野根山連山~東洋町)に
変わります。
その後、古代からの官道であった北山越えが再び脚光を浴び、6代藩主豊隆のときに
再整備が行われます。
以後は、城下から布師田、穴内、本山、川口、立川を経て、笹ヶ峰から伊予への道は
参勤道として使われ、一般旅人も利用する幹道として賑わうこととなります。
参勤交代北山道 | 本山町役場 から引用
駐車場はとても広い。
坂本城
瓶岩体育館の前の斜面を上がっていく。
坂本城の標識に従って進む。
頂上に到着。
どうやらここは坂本城の北側らしい。
坂本城は北山越えの道(本山へ至る)の入口にあり南の亀岩城とともにこの街道をおさえる要衝に築かれている。
主郭は南の頂部にあり、北側に土塁が一部残っている。主郭の下には腰曲輪が巡り、南に畑となった段が二段程確認できる。北は大空堀となり、その先の北尾根に二条の浅い堀切がある。その北側には坂本家の墓所があるがここも城域であったのが、墓地の北側に一条の堀切が残っている。
土佐・坂本城(城郭放浪記) から引用
ツリーハウス
急坂を下った鞍部に、ツリーハウス群がある。
ソファーが置かれ、今でも使われているのかも知れない。
古そうだが、意外としっかりしている。
こんなツリーハウスが、何棟も並ぶ。
斜面を上がっていくと、鳥居が見えた。
明智光春の墓
明智光春の墓と書かれた標識。
鳥居の奥の祠には、明智家の家紋である桔梗紋。
桔梗は土岐氏、明智氏、肥田氏、山城氏、沼田氏、加藤氏、それに丸を加えた「丸に桔梗」は、妻木氏、岡氏 、沖村氏、細身の花弁の「太田桔梗」・「丸に細桔梗」は太田道灌ら太田氏が用いた。「土岐桔梗」は江戸時代に「桔梗」から派生したもので[3]、おもに土岐氏、明智氏、肥田氏、瓜生氏が用いた。船木氏や土田氏など土岐氏に関係する一族が「清明桔梗」を桔梗紋の代用として用いている[1]。下級武士での使用例には、「組合い角に桔梗」の坂本龍馬が知られる。龍馬ら坂本家は、明智光秀の娘婿であった明智光春の子、明智太郎五郎を先祖としていることから用いている。
桔梗紋 – Wikipedia から引用
その隣には、坂本家の墓。
祠の右側に、由緒書き。
祠の後に、古そうな五輪塔。
祠の背後にある、五輪の塔が明智十兵衛光秀の供養塔じゃと思われます。
おそらくここが坂本城趾であろう。
ここには坂本家の墓が並ぶ。
参拝を終え、斜面を下る。
しかし道路に直行する道は荒れていて、下りられそうになかった。
この斜度はやはり城趾ならではだろう。
そこで元来た道に戻り、瓶岩体育館に下りてきた。
ここからウォーキングスタートだ。

感想
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀が主人公となり、調べてみてこの場所を見つけた。
高知と明智光秀の関わりがあるとは全く知らなかった。
それどころか、坂本龍馬は明智光秀の遠縁だった可能性があるとは想定外。
まあ証拠はないし、昔から有名人の子孫だと名乗る人はあとを断たない。
我が一族は秦の始皇帝の子孫だ、と言っても否定する証拠はないようなものだ(笑)
しかし可能性があると言うだけで、なんだかロマンを感じるのは俺だけではないだろう。
歴史に興味を持つ、ということは、案外こういう伝説じみたところから来るのかも知れない。