象ヶ鼻銭形展望台
2022年1月28日、この日は神恵院(じんねいん)と観音寺(かんのんじ)に参拝した。
参拝を終え、車道を歩いていく。
最高点の標高: 71 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 90 m
累積標高(下り): -92 m
総所要時間: 00:45:21
象ヶ鼻銭形展望台(ぞうがはなぜにがたてんぼうだい)に向かう。
象ヶ鼻銭形展望台に到着。
香川県観音寺市八幡町1−1
ここから見える銭形砂絵は、1633年に藩主の生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたと言われている。
東西122m、南北90m、周囲345mという、巨大砂絵だ。
観音寺市といえば「寛永通宝」と言われるほど、市内で一番人気がある観光スポットです。有明浜の白砂に描かれたこの砂絵。
その大きさはなんと!東西122m、南北90m、周囲345mもあります。
一般には、寛永10年(1633年)に藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたと言われており、
この砂絵を見れば健康で長生きし、お金に不自由しないと伝えられています。
琴弾(ことひき)公園内の山頂展望台から見るのもおすすめですが、地上から見るとさらにその大きさが体感できます。
この銭形砂絵を見た人は健康で長生きし、お金に不自由しないと伝えられている。
今お金に不自由しているのは、なぜなんだろう??
ここは花崗岩の山で、岩の形が象の頭や鼻に似ていることから、「象ヶ鼻」という名前がつけられた。
琴弾公園内のドライブウェイを登りつめた、琴弾山の頂上にあります。岩の形が象の頭や鼻に似ていることから、「象ヶ鼻」という名前がつけられました。
“象の鼻”に乗って見下ろせば、眼下に広がるのは広大な松原と砂浜に描かれた「寛永通宝」の銭形砂絵、穏やかな瀬戸内の海に浮かぶ伊吹島。
美しい景観から、この地に関連した歌は数多く残されています。
磯山の 峰の松風通い来て 波や弾くらん 唐琴の浦(菅原道真)
冬の月 いよいよ伊予の高根かな(小林一茶)
歌碑があった。
ここは琴弾公園(ことひきこうえん)で、名勝指定、「日本の歴史公園100選」にも選ばれている。
瀬戸内海国立公園にも含まれる名勝・琴弾(ことひき)公園は約38.6ヘクタールの広さを誇り、名所旧跡が点在しています。広大な園内には海、山、神社仏閣、史跡などがあり、「日本の歴史公園100選」にも選出されています。
自然や歴史を一日中満喫できる観音寺市の人気観光地です。
名勝 琴弾公園 – 観音寺市ホームページ から引用
琴弾八幡宮
ここから観音寺に戻る予定だったが、案内看板でルートを確認して琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)に行くことにした。
由緒書きがあったが、文字が消えていて読めない。
本殿が見えてきた。
祭神は、応神天皇・神功皇后・玉依姫命
香川県観音寺市八幡町1丁目1
0875-25-3828
もともとここが四国八十八ヶ所霊場第68番札所だったが、明治の神仏分離で札所は神恵院に移り、神社として独立した。
展望台があった。
表参道まで歩いてきた。
703年の嵐の過ぎ去った夜に、海岸に一隻の船が現れた。
そこから聞こえてくる妙なる琴の調べにうっとりした人々が琴の主を船とともに山頂にひきあげ、神殿を建て「琴弾八幡宮」を祀ったといわれている。
源義経が源平合戦の勝利祈願をしたことで知られ、勝負の神様として受験生など多くの参拝者が訪れている。
琴弾公園入口の大鳥居から、381段の石段を上がると本殿があります。いわれによると、大宝3年(703年)、嵐の過ぎ去った夜に、海岸に一隻の船が現れ、妙なる琴の調べにうっとりした人々が、
琴の主を船とともに山頂にひきあげ、神殿を建て、「琴弾八幡宮」を祀ったといわれています。
源義経が源平合戦の勝利祈願をしたことで知られ、今も義経参詣の願文、神馬の奉納などの史実、史跡が残っています。
それゆえに、勝負の神様ともいわれ、受験戦争に勝ちたい学生など、多くの参拝者が訪れます。
また毎年10月には琴弾八幡宮大祭が開催され、9台のちょうさが奉納されます。
拝殿。
琴弾八幡宮は土佐市にもある。
摂社の住吉神社、若宮神社に参拝する。
表参道
帰りは琴弾八幡宮の表参道を通っていく。
参道は長く、きれいに整備されている。
鳥居に屋根をつけて保存している。
源義経が奉納した鳥居だという。
まじですか!
ちょうど今、NHKの大河ドラマで源氏を放送しているので、グッドタイミングだった。
全然知りませんでした。
石段は381段あるそうだ。
随神門(ずいじんもん)が見えてきた。
狛犬は焼き物。
大鳥居は1653年に丸亀藩主の山崎虎之助が寄進したものだという。
駐車場の先に見えるのは、琴弾八幡宮の神幸殿。
帰路
川の中に何かあった。
琵琶の首といい、琴弾八幡宮の神事(放生会)が執り行われる神事場だという。
一夜庵道しるべの歌碑。
一夜庵は俳諧の祖、山崎宗鑑の庵で、日本最古の俳跡といわれている。
この先350mの興昌寺の境内にあるそうだ。
車で帰宅した。
最高点の標高: 448 m
最低点の標高: 2 m
累積標高(上り): 1395 m
累積標高(下り): -1372 m
総所要時間: 01:25:34