長浜町とは
長浜町(ながはまちょう)は、愛媛県大洲市(えひめけんおおずし)にある町だ。
坂本龍馬が脱藩した際に、ここから船に乗ったことで知られる。
長浜町の港は、坂本龍馬が沢村惣之丞ともに脱藩した港(1862年3月28日)であり、ここを母港とした大洲藩のいろは丸に乗って出帆し、長州三田尻(防府市)へ向かった。明治時代から、木材を筏に組み河口へと運ぶ筏流しが盛んになり、肱川を下ってきた木材や蝋の集散地・積み替え港として繁栄した。集散地としては、日本の木材の三大集散地の1つに数えられた。
長浜町といえば、何を思い浮かべますか?赤橋、肱川あらし、出石寺etc…
自然たっぷりの観光名所もたくさんあるけれど、
長浜町の魅力はそれだけではありません。美味しいお店もたくさんあるし、
頑張っている人もたくさんいます!
そんな長浜町の魅力を地元目線で紹介します。
観光ブログ | 長浜町商工会 から引用
観光駐車場
この日はえびすや旅館に宿泊していた。
朝食後チェックアウトし、車で長浜町に向かう。
しばらく走ると、瀬戸内海が見えてきた。
途中で狸がはねられて死んでいるのを発見。
このままだと車にひかれて悲惨なことになりそうなので、道ばたにどかせることにした。
気を取り直して車で走っていくと、長浜町が見えてきた。
最高点の標高: 243 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 692 m
累積標高(下り): -693 m
総所要時間: 01:02:11
赤橋(あかばし)を渡る。
そのすぐ先にある観光駐車場に、車を停める。
無料で利用できる。
トイレも完備。
冨屋金兵衛邸
ここは坂本龍馬が脱藩した時に宿泊した場所の隣りにある。
これが冨屋金兵衛邸(とみやきんべえてい)だ。
駐車場に沿って、建物がある。
冨屋金兵衛は長浜の仁久に生まれ育ち、その後本町1丁目へ分家して紺屋を営んでおりました。ここに、土佐勤王の志士で脱藩をした吉村虎太郎と坂本龍馬が泊まっているのです。
その証拠が、次の二つの文書です。①吉村虎太郎から冨屋金兵衛に宛てた手紙
②大洲の福井清さんが入手した「覚、関雄之助口供之事」(澤村惣之丞口述の記)
(①②は展示室の展示品で詳しく紹介)
があり、金兵衛宅で泊まり、ひそかに船で上関へ渡り、長州へ、そして京都へ向かったのです。冨屋金兵衛が、土佐の志士を泊めたということは、大洲藩が勤王藩であったことに相通ずるものがあるように思われます。
冨屋金兵衛はこの手紙の年より2年後の文久4年正月11日亡くなりました。今も紺屋にあった大きな壷が、子孫の冨田運夫さん方に残っております。
残念ながら、休業中。
赤橋
まず赤橋を見に行く。
正式には長浜大橋(ながはまおおはし)というそうだ。
日本最古の可動橋だが、現在では観光用に日曜日に1回だけ開閉するようだ。
国指定重要文化財になっている。
長浜大橋は通称「赤橋」と呼ばれ親しまれています。 現存する中で稼動するバスキュール(跳ね上げ) 式道路可動橋としては、日本最古です。建設当時は、 船による輸送手段が重要であったため、船が通るたびに開閉をしていましたが、現在では点検・観光としてのみ開閉します。また、夏には赤橋全体にイルミネーションが飾られ、見事な朱色にライトアップされます。
日本唯一の道路可動橋だそうだが、そうなると手結の可動橋はどうなるのだろうか?
何らかの基準があるのだろうが(県道以上とか)、少々納得いかない。
名称 長浜大橋
附 旧開閉用電動機械装置 一式
員数 1基
指定年月日 平成26年12月10日
所在地 愛媛県大洲市長浜町沖浦、長浜
所有 愛媛県、大洲市
構造・形式 鋼製跳開橋
鋼製鈑桁2基、
鋼製ワーレントラス5基、
鉄筋コンクリート造橋脚6基、
鉄筋コンクリート造橋台2基、
跳開装置一式
規模 橋長:232.3m 幅員:6.6m
建築年 起工:昭和8年11月
竣工:昭和10年8月
工事発注 愛媛県
工事設計 増田淳(増田橋梁事務所)
工事監督 武田良一
工事施工 総元請:合資会社 細野組
トラス鋼材製作:安藤鐡工所
可動部鋼材・機械製作:大阪鐡工所
電気部分製作:明電舎
総工費 28万円
備考 毎週日曜日の13時に開閉しています
国指定重要文化財長浜大橋 から引用
橋のたもとには公園が整備されていて、帆船型のベンチがある。
坂本龍馬が乗ったいろは丸だろう。
商店街
長浜商店街を歩いて行く。
地方都市はどもでもそうだが、シャッター商店街は悲しい。
それでもなぜかフグ料理店は元気そう。
かつての賑わいを取り戻してもらいたいものだ。
お寺を通過。
末永家住宅
末永家住宅(すえながけじゅうたく)に到着。
国の有形文化財で、敷地内に入れる。
末永家は、代々長浜で回漕業(かいそうぎょう、海運業)を営んだ長浜きっての資産家です。
明治期の当主で本住宅の建築主である末永四郎平(すえなが しろへい)は、長浜財界の大御所とも言える人物で、長浜町長歴任しました。本住宅内にある百帖座敷は、木造平屋建てで、末永家の接客用の建物と考えられます。
18畳二間続きの座敷と5畳の付属室からなり、内部には、手の込んだ折上げ格天井(おりあげ ごうてんじょう)や洋風の照明器具などがみられます。
かつては、渡り廊下で繋がった茶室棟なども備えていました。
建築年代は、襖絵(ふすま え)の署名に記された昭和2(1927)年ごろと考えられます。当時このような間取りの建物はあまり例がなく、地域の公民館的役割の建物として、公共建築の変遷を考えるうえで貴重な建物といえます。
立派な庭だ。
土蔵も大きい。
当時の隆盛を感じさせる。
駐車場に戻り、車で先に向かった。
感想
こぢんまりした町だ。
重要文化財に指定されている赤橋などが現存するが、建設当時の勢いは街並みからは感じられなかった。
この日は2020年8月28日、ひたすら暑いウォーキングとなった。
坂本龍馬つながりの町として、ぜひ頑張ってもらいたい。
最高点の標高: 8 m
最低点の標高: 5 m
累積標高(上り): 14 m
累積標高(下り): -14 m
総所要時間: 00:32:32