ナウマンカルストとは
ナウマンカルストは、高知県高岡郡佐川町(こうちけんたかおかぐんさかわちょう)にある公園だ。
カルスト地形が特徴的で、ナウマン博士にちなんで命名された。
佐川に2度来町し、佐川を「地質のメッカ」として世界に広めた日本地質学の創始者エドモンド・ナウマン博士の名にちなみ、博士の来町100年を記念して造られた公園。
巨大なナウマン象のオブジェが羊の群れのような石灰岩の谷間に置かれている。
酒蔵の道
この日は2021年2月12日、まず牧野公園を歩いた。
そこから、旧浜口家の前を通過。
ここは観光協会の事務所にもなっている。
江戸中期より佐川で酒造業を営んだ浜口家の住宅。 平成2 5( 2 0 1 3 )年に改築され、観光客を迎える施設として整備された。さかわ観光協会がお土産販売や休憩所として運営している。
司牡丹の工場群を歩く。
キリン館の前を通過。
キリン館は、フェアトレードファッション・服飾雑貨・インテリア・キッチン・ステーショナリー雑貨や食品を取り扱うショップです。また、時代を重ねた粋な骨董も紹介しています。奥庭をのぞむ部屋で喫茶「まるきゅう」も営業しています。
酒蔵の道(さかぐらのみち)の看板。
江戸時代の領主・深尾氏が持ち込んだ酒造りにより栄え、現在でも風情ある「酒蔵の道」が東西に延びる。
酒蔵の町並み | 各エリア詳細情報 | 「リョーマの休日~自然&体験キャンペーン~」公式サイト | 高知県観光キャンペーン から引用
ナウマンカルスト
国道494号線に入り、佐川ナウマングラウンドを通過。
深尾土居の説明看板。
慶長6年(1601年)頃に深尾氏によって築かれた。深尾氏は関ヶ原合戦後に土佐一国を与えられ高知に入部した山内家の家老で、初代深尾重良は一万石を与えられて佐川城に入った。深川氏の時代に佐川城も改修されたようであるが、元和の一国一城令によって廃城となり、以後深尾氏はこの土居屋敷を中心にこの地を支配し、明治まで続いた。
土佐 深尾土居屋敷-城郭放浪記 から引用
ナウマンカルストに到着。
ステージで演奏している人がいたので、著作権的に音声をカット。
ナウマン象の像がある。
ナウマンカルストは、エドモンド・ナウマン博士にちなんで命名された。
いわゆるお雇い外国人の一人で、日本における近代地質学の基礎を築く[1]とともに、日本初の本格的な地質図を作成。またフォッサマグナを発見したことや、ナウマンゾウに名を残す[2]ことで知られる。
これがなかなか巨大だ。
斜面を登っていく。
東屋まで登ってきた。
下山
しばし休憩し、反対側の道を下りていく。
この道はあまり使われていないのか、落ち葉が深く積もっていた。
斗佐トンネル
JR襟野々駅前を通過。
五位山緑地公園の麓に、洞窟があった。
斗佐トンネルを通っていく。
斗賀野〜佐川だから「斗佐」、なんだろうね。
松尾八幡宮
酒屋の店頭にある自販機の缶コーヒーが50円と激安。
松尾八幡宮に参拝する。
御祭神は応神天皇。由緒は、八幡伝承記によると永正14年(1517)津野氏の傘下で松尾城に拠る佐川越中守は滅亡し、蓮池守護・大平氏の養子・中山信家が、大平領高岡の松尾八幡宮を古城山に勧請していたものを、弘治2年(1556)中村越前守信義が城北松尾山に移し、戦勝祈願、山上鎮護としたのが始まりじゃとか。
要は、この神社の背後にある松尾城跡の城八幡ながです。
春日神社
さらに進んで、春日川沿いに歩く。
春日神社に参拝する。
この神社は、JR土讃線・佐川駅の北西200m程の辺り、佐川町甲の街外れに鎮座しております。御祭神 天之児屋根命・比賣命・経津主命・武甕槌命
由緒
当村東町部落の産土神にて、元春日大明神と称す。明治元年(1868)辰3月改稱の達により春日神社と定める。
境内由緒書き より。
春日神社 から引用
参拝を終え、春日川を渡って駐車場に戻った。
最高点の標高: 167 m
最低点の標高: 76 m
累積標高(上り): 489 m
累積標高(下り): -483 m
総所要時間: 03:32:23