町石道とは
町石道(ちょういしみち)は、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道だ。
『紀伊山地の霊場と参詣道』の「高野参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。
また、国の史跡「高野参詣道」としても指定されている。
高野山麓の九度山から金剛峯寺の根本大塔へと通じる町石道(ちょういしみち)。
その傍らに立ち並ぶ180基の石柱(町石)は、いにしえから多くの人々を聖域へと導いてきました。世界遺産にも登録されている歴史ある高野参詣道のひとつです。
静寂、祈り、そして光。空海はこの先に何を見たのだろう。
1200年間、歩みを止めない道がここにあります。
世界遺産 高野山町石道(ちょういしみち) から引用
駐車場
2022年1月3日、この日はホテル46に宿泊していた。
そこから車で、九度山町営無料駐車場にやってきた。
ここから高野山まで、コースタイムで7時間半ほどだ。
3時到着を目標に、出発する。
慈尊院
前日に参拝した慈尊院に到着。
登山前に、無事の登山を祈願する。
ここも世界遺産に指定されていて、弥勒堂は重要文化財。
参拝を終え、丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)に向かう。
丹生官省符神社
丹生官省符神社まで歩いてきた。
息上がった。
こんなんで今日は大丈夫だろうか?
無事を祈願する。
高野山町石道展望台
いよいよ町石道に入る。
1町は約109mで、ここから高野山の大門まで179町(約19.5km)ある(汗;)
1町ごとに町石(ちょういし)という石碑が建っているので、町石道といわれる。
九度山町は富有柿の産地として有名で、町石道沿いに柿の木が並んでいる。
世界遺産の説明看板。
クマ出没注意の看板(汗;)
高野山町石道展望台に到着。
あ〜疲れた。
もう何度も休憩しています。
素晴らしい景色が広がる。
ここは和歌山県朝日夕日百景に選ばれている。
確かに朝日がきれいだ。
銭壺石
良心市ではミカン、柿を売っているのがさすが和歌山県、しかも100円!
車道と合流。
まだ17kmもある(汗;)
銭壺石(ぜにつぼいし)というのがあった。
町石道の建設に当たった作業員に、この石の上に置かれた壺に入れた給金をつかみどりさせたという。
銭壺石(ぜんつぼいし)は、和歌山県九度山町の町石道沿い(156町石)にある。
鎌倉時代の文永2年(1265年)覚斅(かくきょう)上人の発願により、20年という年月をかけて町石道が整備された。
整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛が、この石の上に置いた壺に給金を入れ、作業員につかみどりをさせて与えたという伝承がある。
銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさん銭をつかんでも、手が引っかかって取り出すことは出来ない。
そのため、大きな手の者でも小さな手の者でもつかめる銭の量は、大差なかったと言われている。
銭壺石 から引用
実は銭壺石の手前で、ビデオカメラがないことに気づいた(大汗;)
急いで引き返して探すと、さっきの車道との合流点の近くの木に引っかかっていた。
30分ほどロスをして余計に歩くことになったが、見つかって良かった・・・
接待場に到着。
南海電鉄が開通する前は、ここで地元の有志が高野詣の参拝者に握り飯や湯茶の接待をしてたそうだ。
世界遺産 高野参詣道町石道にある「接待場」。
接待場では、かつて南海高野線が開通する前まで、毎年御影供(旧3月21日 お大師さんが入定された日)に、高野詣の参拝者に地元の教良寺区の村の有志が、握り飯や湯茶の接待をしていました。「接待場」には弘法大師空海の石像が今も残っており、この石像の後方数キロ先に高野山奥の院があり、この石像を拝むと「遠く御廟を望む」と言われています。
二ッ鳥居
六本杉に到着。
ここは昨日参拝した丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)への道との分岐点になっている。
雪が見え始めた。
展望所で休憩。
1km先にトイレがあるとの表示があった。
体が冷えたので、トイレは重大事項だ。
ここから丹生都比売神社のある集落が見下ろせて眺望がいいが、なにせ風の通り道で寒すぎる。
二ッ鳥居に到着。
丹生都比売神社の鳥居として819年に弘法大師が建立したと伝えられ、国の史跡になっている。
八町坂を登りきると、町石道にでますが、そこには二基の
鳥居が並んでいます。弘仁10年(819年)5月3日、丹生
明神・高野明神を空海が高野山に勧請した時、木材で
建立したといいます。現在の石造りになったのは慶安2年(1649年)5月といわれ
ます。この鳥居のそばに120町石が立っていますが、これより
高野山までの町石道は祈りの聖道と言われ、まわりの木立の
伐採も禁じられていました。
昔から高野山への参拝者は、ここから丹生都比売神社に
参拝しました。
二ツ鳥居|見所|かつらぎ観光協会 から引用
昔から高野山への参拝者はここから丹生都比売神社に参拝したそうだが、昨日参拝を済ませているので、そのまま進む。
神田地蔵堂
白蛇の岩にやってきた。
この岩には白蛇が棲みついており、この岩にお参りをして白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられているそうだ。
この鳥居の奥にある大きな岩は、白蛇の岩(垂迹岩)といい、この岩の隙間に入り込もうとしていた蛇を、
杖でつついて驚かせた僧が、丹生都比売神社からの帰路、この岩の前を通ると白い大蛇が岩の上の木に
巻き付いて待ち構えていたという伝説があります。
僧は自分の非を悟り、丹生都比売神社で御祈祷をして戻って見ると、大蛇はすでに消えていたといいます。
その話しから、この岩には白蛇が棲みついており、この岩にお参りをして、白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられています。
白蛇の岩と鳥居 から引用
ゴルフ場に出てきた。
ゴルフをしたことがないくせにポーズを決めるおばあ。
ここからしばらく紀伊高原ゴルフクラブのフェアウェイ沿いに歩いて行く。
神田地蔵堂(こうだじぞうどう)に到着。
平安、鎌倉時代から、高野参詣の人々の休憩場になっていたそうだ。
弘法大師、子安地蔵、応其上人が安置されている。
神田の一隅に町石道の近くに建つ地蔵堂は、
平安、鎌倉時代の高野参詣の人々の休憩場として
存在しました。お堂には、弘法大師、子安地蔵、後に
応其上人も安置されました。
横笛が高野山で修行をした滝口入道を待った所と
伝えられています。
神田地蔵堂|見所|かつらぎ観光協会 から引用
この近くに公衆トイレがあるはずだが、よく分からなかった。
できればゴルフ場としてトイレを設置して、参拝者にも開放してもらいたいものだ。
矢立茶屋
町石道に雪が出てきた。
笠木峠に到着。
ここから上古沢駅方面へ行く道と分岐している。
国道480号線と合流する。
矢立茶屋(やたてちゃや)に到着。
ベンチが設置されていたので、ここで休憩することにした。
ここでカップ麺でランチを済ませる。
伝説の石
トイレを済ませ、矢立茶屋の脇からふたたび町石道を進む。
袈裟掛石(けさがけいし)は、弘法大師が休憩する時に袈裟を掛けた石と言われている。
石と石の間をくぐると長生きをすると言い伝えられ別名「くぐり石」とも呼ばれているそうだが、気づかずに通過してしまった。
高野山町石道 袈裟掛石高野山町石道の「弘法大師ゆかり」の石です。
その名の通り、弘法大師が袈裟を掛けた石と言われています。
石と石の間をくぐると長生きをすると言い伝えられ別名「くぐり石」とも呼ばれています。
【ハイキング】世界遺産の古道・高野山町石道の歩き方(九度山駅から高野山まで解説) | BON BON VOYAGE から引用
ここですれ違った人から、クマ出没注意と言われてビビる(汗;)
押上石(おしあげいし)まで歩いてきた。
突然の雷雨に、弘法大師が石を押し上げ、母親をかくまったと言われている。
高野山町石道 押上石高野山町石道の「弘法大師ゆかり」の石です。
弘法大師の母親が「高野山の女人禁制の結界」を破ると雷雨が襲いました。
弘法大師は石を押し上げ、母をかくまったと言われています。
その際の弘法大師の両手の跡が残っている石が「押上石」と言われています。
【ハイキング】世界遺産の古道・高野山町石道の歩き方(九度山駅から高野山まで解説) | BON BON VOYAGE から引用
東屋があったが、休憩せず先に進む。
鏡石(かがみいし)まで歩いてきた。
大門
雪が増えてきた。
急登でヘロヘロです。
いよいよ町石も11町まできた。
ついに車道が見えてきた。
息も絶え絶えです。
ついに大門に到着!
なんとか目標の3時は切れた。
先に進んだ。
最高点の標高: 850 m
最低点の標高: 64 m
累積標高(上り): 2079 m
累積標高(下り): -1304 m