中津川宿とは
中津川宿(なかつがわじゅく)は、中山道の45番目の宿場だ。
東濃地方随一の商業の町として栄えてきた。
東濃地方随一の商業の町として栄えた中津川宿のうだつは、どれも「我が家が一番だ」と競い合っているかのよう。
そんな町の様子からは、活気あふれる当時の様子が感じられます。
中津川の歴史をたどる!中山道45番目の宿場【中津川宿】を歩く!脇本陣跡と街並みの見どころ紹介!【旅行VLOG、レビュー】無料駐車場あり!本陣で殿様気分?!タイムスリップしたような体験ができる!
本町広場駐車場
2023年10月25日、この日はサガミ中津川店(なかつがわてん)でランチを済ませた。
そこから車で、本町広場駐車場にやってきた。
本町広場駐車場
〒508-0041 岐阜県中津川市本町4丁目2−1825
ここに8台分の駐車スペースがある。
無料で利用できるのはありがたい。
庄屋跡
木曽谷への入口に当たる主要な宿場だった。
まず案内看板でルートを確認。
江戸へ85里12町8間、落合宿へ1里、大井宿へ2里半の位置にあった。
庄屋跡にやってきた。
中津川村庄屋「肥田家」の屋敷だった。
肥田家は中津川に残る記録によりますと、享保3(1718)年から明治5(1873)年まで、江戸時代の半分、庄屋役を勤めていたとあります。
屋号を「田丸屋」といい、参勤交代など大通行がある場合に、比較的身分の高い人が泊まる旅籠でもありました。
明治中期から曽我家が入居し、医院として使用されました。
江戸時代中期の建物。
脇本陣跡
脇本陣跡まで歩いてきた。
江戸時代から実際に使用されてきた「上段の間」(床の間・書院棚付き8畳間)と「御手水所」(便所)を移築復元しています。
入場無料なので入ってみた。
脇本陣の一部を移築復元している。
土蔵内の柱・梁の骨組みや板張はそのまま残して復元している。
SNS等への投稿は原則自由。
床の間・書院棚付き8畳間。
苦しゅうない。
街並み
歴史資料館まで歩いてきた。
本陣跡を通過。
さらに先に歩いて行く。
この先、落合宿、先日歩いた馬籠宿、妻籠宿と続く。
建物の低い格子が特徴だという。
ニトリで買い物して戻った。
最高点の標高: 308 m
最低点の標高: 303 m
累積標高(上り): 13 m
累積標高(下り): -11 m
総所要時間: 00:23:34