落合宿とは
落合宿(おちあいじゅく)は、岐阜県中津川市落合(ぎふけんなかつがわしおちあい)にある中山道44番目の宿場だ。
木曽路の険しい難所をひかえる旅人たちを迎えた落合宿は、映画「十三人の刺客」で決戦地としても描かれた、
今も山あいの街道情緒を残す宿場町。本陣は美濃17宿に唯一残る本陣建築で国の史跡。
3月~11月まで、毎週日曜日と祝日の9:00~16:00まで一般公開されています。
中山道 落合宿(旧本陣)
〒508-0006 岐阜県中津川市落合840−1
0573-66-1111
【岐阜県観光】中山道44番目の宿場「落合宿」の見どころを紹介!いきなり「門冠の松」がお出迎え!美濃17宿で唯一残る本陣!江戸時代の常夜灯!迷路のような高福寺の庭園!【旅行VLOG、レビュー】
駐車場
2024年1月12日、この日は車で岐阜県中津川市落合(ぎふけんなかつがわしおちあい)にやってきた。
美濃17宿に唯一残る本陣は、国の史跡に指定されている。
舗装されていないが、駐車場は4台ほど停められそうだ。
駐車場の向かいは脇本陣跡。
旧中山道
街を歩いて行く。
落合宿は江戸時代末期の大火で焼失したが、その後に再建された建物が現存する。
1813年に建てられた常夜灯。
この日は気温1度と寒い。
1792年建立の常夜灯。
ここは「枡形(ますがた)」で、外敵を防ぐためにわざと道を直角に曲げた場所だ。
地図では下に見える車道が旧中山道と記されていた。
高速道路の赤い橋が目立つ。
高札場(こうさつば)跡まで歩いてきた。
高福寺
高福寺(こうふくじ)にやってきた。
高福寺
岐阜県中津川市落合1129
0573-69-4746
浄土宗知恩院の末寺だ。
境内前にある「彼岸桜」は、樹齢200年余りで幹回り2.8mと1.5mの大木だ。
法要の真っ最中。
天文12年(1542)円誉上人により開山された。
本尊は阿弥陀如来。
「臥龍の松」と呼ばれていた松の切り株。
福蔵稲荷。
庭園が開放されている。
順路標識に従って、本堂の裏に回る。
江戸時代後期から境内を寺小屋として開放し、明治5年(1872)に学制が発布されると学校として利用されていた。
又、江戸時代後期から境内を寺小屋として開放し、明治5年(1872)に学制が発布されると学校として利用されています。
高福寺(中津川市) から引用
一周できるように整備されている。
ツララができていた。
よく考えられたルートでしたね。
本陣
本陣に戻ってきた。
駐車場が満車の場合は、JAの駐車場も利用できる。
この日は本陣は閉館中。
JAの前に大釜が展示されている。
平成15年から令和元年まで行われていた「中山道落合宿まつり」で千人きのこ汁をふるまっていたそうだ。
もう少し先まで歩いて行く。
善昌寺
善昌寺(ぜんしょうじ)の「門冠(もんかぶり)の松」は、今なら速攻で切り倒されそうだ(笑)
中山道はここで直角に曲がり、中津川宿に続いている。
善昌寺(ぜんしょうじ)に入る。
曹洞宗の寺だ。
善昌寺の創建は慶長5年(1600)、龍泰寺(武儀郡関村:現在の関市)の末寺として開かれた曹洞宗の寺院です。落合宿の枡形に位置し、本陣上段の間からの抜け穴は善昌寺に通じているなど宿場内でも重要な位置を占めました。
善昌寺(中津川市) から引用
善昌寺
〒508-0006 岐阜県中津川市落合864−1
0573-69-3649
慶長5年(1600年)以前に、嶺厳首座が創建した。
本尊は、釈迦如来。
本陣の抜け穴が善昌寺に通じているという。
明治24年(1891)に国道19号線が改修される際に、現在地に移築された。
明治天皇が休憩された際、ここの水が献上された。
先に進んだ。
最高点の標高: 335 m
最低点の標高: 320 m
累積標高(上り): 21 m
累積標高(下り): -21 m
総所要時間: 00:23:57