旧開智学校とは
旧開智学校(きゅうかいちがっこう)は、明治時代初期の擬洋風建築の校舎だ。
明治9年に完成した旧開智学校は地元の大工棟梁立石清重が設計した学校建築で擬洋風建築の代表です。文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。
注目すべきは正面の車寄せ、この一点に擬洋風が凝縮されています。八角の太鼓楼と寺っぽいアーチの窓、青竜の上に雲がわきその上に二人のエンジェルが「開智学校」の旗を掲げています。文明開化時代の日本一の小学校「擬洋風建築」を見学して見てください。
1961年から国の重要文化財として指定されていますが、2019年に国宝に指定されました。
国宝旧開智学校校舎 | 新まつもと物語 から引用
旧開智学校
〒390-0876 長野県松本市開智2丁目4−12
0263-32-5725
フォトジェニックな国宝【長野県観光】旧開智学校を見学してきた【旅行VLOG、レビュー】明治9年に建てられた擬洋風建築の代表作!市民が資金を出し合って建てた民間主導の傑作!松本に来たら必見の場所!
駐車場
2025年1月5日、この日は長野県松本市(ながのけんまつもとし)にある松本市アルプス公園を歩いた。

そこから車で、松本市内を走る。
旧開智学校(きゅうかいちがっこう)にやってきた。
校舎の前に駐車場がある。
外観
近代の学校建築として初めて国宝に指定された。
擬洋風建築の代表として評価されている。
1873年(明治6年) に開校し、1876年(明治9年)に校舎が建てられた。
松本城との共通券もある。
しかし30分以内に松本城に行かないといけないそうだので、今回は旧開智学校のみの入場券を購入した。
以前も来たのだが、新型コロナウイルスのせいで閉鎖されていた。

リベンジでやってきた。
入るのは40年ぶりだ。
忘れました。
正面に見えるのは美ヶ原の王ヶ頭。
王ケ鼻のほうかもしれない。

まず案内看板でルートを確認。
撮影OKだが資料は撮影不可。
校内
靴を脱いで自分で靴箱に入れるシステム。
ドアの飾りも凄い。
廊下が続くところはやっぱり学校。
1873年(明治6年)5月6日に創立され、1876年(明治9年)に現在の松本市中央2丁目に建てられた。
工事費は約11,000円(現在の価値で2億円〜3億円)かかった。
およそ7割を松本町全住民の寄付により調達し、残り3割は特殊寄付金及び廃寺をとりこわした古材売払金などで調達した。
1964年に現在の場所へ移築・復元された。
1961年から国の重要文化財として指定され、2019年に国宝に指定された。
「擬洋風建築」の代表作とされる。
太鼓楼
思ったより大きかった。
八角の太鼓楼には上がれなかった。
外壁は漆喰塗。
青竜の上に雲がわきその上に二人のエンジェルが「開智学校」の旗を掲げている。
明治初期に流行したこの種の建築のなかでも完成度の高いものとされる。
書類、図面などの関係資料が豊富に残り、設計や建築の経緯が明らかな点でも学術的価値が高い。
松本旧司祭館
松本旧司祭館(まつもときゅうしさいかん)も見学できる。
明治22年(1889年)に建てられた。
明治10年代の後半に布教のため来松したクレマン神父は、定住して布教するための教会建設用地を旧三の丸武家屋敷跡に求めました。彼は、明治22年(1889年)、宣教師と伝道師のための住居である建物を自ら設計し、地元の大工さんに作らせました。これが、司祭館です。
フランス人神父クレマンが建設したカトリック教会司祭館。
長野県宝に指定されている。
入館無料。
クレマン神父が自ら設計し、地元の大工に作らせた。
司祭らの住居として使用されていた。
左右対称のギリシャ神殿のような古典主義形式。
平成元年(1989年)に現在地に解体移築復原された。
2階に上がってみた。
先に進んだ。
