温泉寺とは
温泉寺(おんせんじ)は、長野県諏訪市(ながのけんすわし)にある臨済宗妙心寺派の寺だ。

温泉寺
〒392-0002 長野県諏訪市湯の脇1丁目21−1
0266-52-2052
桜に込められた歴史!諏訪湖を見下ろす温泉寺を訪ねた!【旅行VLOG、レビュー】和泉式部の墓!織田信長が武田勝頼を攻めた際の陣鐘!樹齢約400年のしだれ桜は大坂夏の陣の桜!歴史ファン垂涎の禅寺!
駐車場
2025年4月20日、この日は長野県諏訪市(ながのけんすわし)にある寿量院(じゅりょういん)に参拝した。

そこから車で、旧甲州街道を走る。
道が狭いので要注意。
微笑観音を左折する。
温泉寺(おんせんじ)にやってきた。
駐車場はとても広い。
しだれ桜は大坂夏の陣の桜だ。
前回参拝したときは本堂の反対側の駐車場に車を停めた。
高島藩主諏訪家墓所
うわぁ〜きれいだわ。
和泉式部の墓もあるよ。
アズマヒガンの一変種で枝がしだれるのが特徴。
伝えでは二代藩主諏訪忠恒が大阪夏の陣に出陣したときに持ち帰って植えた桜。
この2本がその名残だそうです。
生きてる、花を付けてるってだけでもたいしたものですよ。
これは凄いね。
桜がきれいでもあまり観光客が来ないね。
そこが和泉式部の墓ですね。
これは古いよね。
和泉式部は「恋多き女性」として知られる歌人で、NHKの大河ドラマ「光る君へ」にも登場した。
平安時代後期の勅撰和歌集「後拾遺集」には、和泉式部の歌が最多の67首取り上げられた。また、鎌倉時代にかけて御伽草子などの説話も多く作られている。少なくとも4人の男性と恋をし、娘の小式部内侍を早く亡くした和泉式部の物語は後世の人々によって、時に面白おかしく、時に悲哀を持って語られ、民間に広まったという。
国指定史跡高島藩主諏訪家墓所。
諏訪家は明治になるまで藩主を務めた。
慶長二年(1597年)二代藩主諏訪忠恒が創建し菩提寺とした。
もの凄くたくさん灯籠があるわ。
高島藩第二代藩主忠恒の墓。
この建物は劣化した建物を保存するための仮御霊屋だ。
大きいね、さすがに。
しだれ桜を見下ろして眼下には諏訪湖。
この辺り全部お寺の敷地なんでしょうね。
1台だけ。
なぜ高知ナンバーなんだ(笑)
これだけきれいなしだれ桜なんで他にも観光客がいるかな?と思ったんですけど、我々だけでしたね。
庭園
地蔵像は京都九条関白家より文化年間(1804〜1814)に拝領したもの。
多宝塔には諏訪大社上社本宮の御神体、石造りの鉄塔が安置されている。
鉄塔という名前だが石造りで、もともとは諏訪大社上社のご神体だった。
鉄塔は弘法大師が建てたが、腐朽したため源頼朝が再興したといわれている。
寛永8年(1631)高島藩主諏訪忠恒が石造りで復興し、この仏舎利を祀った。
斜面を下りていく。
ここは庭園の築山だ。
今の季節に早くもシャクナゲが咲いている。
高知では夏にしか見られない。
美しい庭園だ。
いやぁ〜いいですねぇ〜。
本堂
前回はこの駐車場に停めました。
咲いているのは桃だろうか。
ここから穂高が見えるはずなんですが。
今日は無理っぽいですね。
梵鐘は織田信長が武田勝頼を攻めた時に陣鐘としてここまで引いてきて捨てたもの。
長野県宝に指定されている。
見事な石庭があります。
臨済宗妙心寺派の寺だ。
この桜も大坂夏の陣の桜の1本で「忠恒桜」と呼ばれている。
山門からは諏訪湖が見えて美しい。
明治3年の大火の後に高島城から移築した。
一度取材しているからスラスラ出てくるおじい。
経蔵には安永9年(1780)初代立川和四郎冨棟の手になる八角八面の輪蔵があり、その中に黄檗板(おうばくばん)大経蔵が納められている。
中部四十九薬師霊場7番札所。
本尊は薬師如来。
車で先に進んだ。