穴神鍾乳洞とは
穴神鍾乳洞(あながみしょうにゅうどう)は愛媛県西予市(えひめけんせいよし)にある鍾乳洞だ。
穴神鍾乳洞は、1969(昭和44)年に地元の中学生によって発見されました。中生代ジュラ紀にできた約300mにおよぶ鍾乳洞では75mの遊歩道が整備され、気軽に洞窟体験ができます。
穴神鍾乳洞
〒797-1704 愛媛県西予市城川町川津南3612
0894-83-1001
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駐車場
2025年8月1日、この日は愛媛県西予市城川町(えひめけんせいよししろかわちょう)にある宝泉坊ロッジ(ほうせんぼうロッジ)に宿泊していた。

チェックアウトして国道197号線を走り県道284号線に入る。
ヘアピンカーブが続く。
大門峠を通過。
ここに「勤王志士坂本龍馬脱藩通過地」の石碑が建っている。
この道を坂本龍馬が脱藩する際に通ったという説があった。
現在では韮が峠(にらがとうげ)ルートで脱藩したというのが定説になっている。

正面に見えるのは大野ヶ原。
天狗高原に続く。

穴神鍾乳洞(あながみしょうにゅうどう)に到着。
駐車場は舗装されていないがとても広い。
解説
「穴神(あながみ)洞遺跡」として愛媛県指定史跡になっている。
愛媛県西予市城川町(えひめけんせいよししろかわちょう)にある。
覚えてたんですけど忘れてました。
おじいはこんなものだ。
約1万2千年前(縄文時代草創期)の遺跡がある。
ヘルメットが用意されていてビビるおじい。
西予市は豊後水道から大野ヶ原にかけて東西に広がっている。
黄色く色分けされている時代が穴神洞遺跡で暮らしていた時代。
草創期の遺跡だ。
美川村という村がありました。
仁淀川(によどがわ)の上流になります。
川の水がきれいな所なんですね。
上黒岩遺跡(かみくろいわいせき)というのがあります。
中学校の歴史の教科書に出てくるくらい古い遺跡です。
それに次ぐのが私たちの穴神洞遺跡です。
この上が遺跡の跡なんですが微隆起線文土器という名がついております。
微隆起線文土器が一つの特徴。
矢尻ですね弓の先っちょ。
黒曜石(こくようせき)なんですが色がピンクがかっているんです。
ピンクがかった黒曜石は大分県の姫島というところ。
そこから出た矢尻です。
海を渡ってやってきている。
どうやってこの古い時代にこれがここまで来たのか。
太平洋側の海の物が多いらしいですね。
ひょっとしたら瀬戸内海まだ海のない時代だったかもしれないですね。
オオツノシカ。
この時代は日本の別の地域では絶滅していたとされている。
ここで出たのは何でだろう。
この後に土器を置いてある城川町の歴史民俗博物館に行く予定。
ナルクミメクラチビゴミムシ。
穴神鍾乳洞の発見ストーリーが絵本になっていた。
ガイドの恵比須(えびす)さんの弟さんが発見した。
縄文人のレプリカが置かれていた。
ここでお客さんを迎えてくれたらいいじゃないかということで。
400何万したんです。
あそこから4人の少年達が入ったんです。
石灰岩というのは水に溶けるんですね。
割れ目から酸性の雨水が落ち込んできてだんだん溶かしていきます。
順々に広がっていって地下水の方は下に行っちゃうんですね。
そのあとに空間が残る。
鍾乳洞
いよいよ入ります。
コウモリ達も大好きなんです。
かなり狭い。
探検気分。
未確認生物発見。
コオロギの一種でカマドウマ。
光が差し込んでいる穴が発見者が入ってきた入口。
この急な落差を通って入り込んだそうだ。
「門神」と名付けられた石筍。
ツララ石と言います。
下に溶けた石灰岩の結晶が積もって下から生えてくるように見えるので石筍といいます。
これで3万年くらいかかったそうです。
ここに化石があるんですけれど。
海の中にいるウニです。
膝が悪いおじいには辛い。
こんなに深いんです。
クリスマスツリーに飾るベルみたいでしょ?
ベルホール正式にはポケットと言うんです。
川底に甌穴(おうけつ)という穴があるんですけど。
石がゴロゴロなって川底をくりぬく。
ここを昔水が流れていて。
水に反応して溶けてできた穴なんです。
石ころが開けた穴じゃない、水が開けた穴。
ゆっくりゆっくり石灰岩の結晶ができた。
フローストーンといいます。
涼しい風が出てるから。
専門家は線香を立てる。
さらに上がっていく。
鍵穴みたいになってます。
上の方に水が流れてそれが溶けて穴を作ってポトッと下へ落ちていく。
鍵穴のように溶けていく。
ここはコンクリートを打ってますが実際は下まであるんです。
ここが一番狭いところだ。
斜めになっているので歩きにくいです。
鞄の持ち込み禁止の理由が分かった。
本当に斜めです。
昔土佐の海という強い人がいました。
コウモリ洞。
これがさっき言ったフローストーン。
ここが一番広いところだそうです。
コウモリが飛び回っている。
天井が高すぎて撮影不能。
最初に見つけた子供達はここから先へは行っていない。
探検気分が高まってきた。
ここは上から入って行き止まりだったんですよ。
ここを人工的につなげました。
これは頭をぶつけそうで怖いわ。
この辺りは塞がっていたそうだ。
ヘルメットがないと怖いね。
私は1947年の生まれなんですよ。
都会で家を焼かれて親類を頼って来ている人が。
そういう人たちがたくさん来ていたんです。
そういう人たちもここで暮らしていた。
あそこから入ってここで行き止まり。
1万何千年前から人が暮らしていた。
火を使いますから天井まで煤が結晶になって付いているんですね。
縄文人の住居跡。
出口が見えてきた。
わが家にもいます。
ヘルメットがなかったら大変なことになっていた。
暑い。
前に川が流れていてここに穴があると言うことは縄文の人にとっていい場所。
見学を終え車で先に進んだ。