春野神社 ⇒ 春野を発展させた野中兼山の偉業を称える

春野神社

春野神社とは

春野神社(はるのじんじゃ)は、高知県高知市春野町森山(こうちけんこうちしはるのちょうもりやま)にある神社だ。

祭神は、野中兼山(のなかけんざん)

野中兼山は山田堰(やまだぜき)などを作った人物だ。

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野中兼山 - Wikipediaまず兼山は、堤防の建設、平野部の開拓で米の増産を進め、杉・檜を中心とする森林資源の有効活用を行い藩の財源に充てる。物部川に築いた山田堰による灌漑などで開発した新田は7万5千石にも達したという。和紙の材料となる楮栽培や鰹節づくりも奨励した[3]。また、乱伐を避けるために輪伐制なども導入していた。築港も推し進め、藩内製品の諸国での販売を広める。また、身分にとらわれず郷士などを藩政改革にあてた。藩外からも植物、魚類などを輸入して藩内での育成に努めるるなどした。また、捕鯨、陶器、養蜂などの技術者の移入も進めて殖産興業に取り組み、専売制の強化なども行った。これらの結果、藩財政は好転を進めていくことになる。

野中兼山 – Wikipediaから引用

野中兼山は江戸時代に大規模な土木工事を多数行って、土佐藩の繁栄に大きく寄与した。

しかし活躍しすぎた人物だけに妬まれることも多く、晩年は失脚してしまう。

その功績は庶民に語り継がれ、高知県内には野中兼山を祀る神社が多数存在する。

物部川土地改良区連合 | 野中兼山の評価○野中神社(香美市土佐山田町中組)
兼山の遺子、婉子女史が寛永5年9月、野中家の跡が絶えて兼山一族を合するために祭った神社。
○春野神社(香美市土佐山田町楠目)
香美市土佐山田町にある旧・山田堰のある場所で、文化3年、現・いの町八田春野神社の末社として
建立したもので兼山を祭った神社。
○野中神社(本山町 帰全山公園)
延享2年、千頭兵左衛門、石川嘉平次、志和精兵衛の三氏、初めての中家累代の墓地の帰全山に
宮を建て兼山の霊を祭った神社。(祭日5/15、12/1)
○清川神社(高知市比島)
長宗我部元親、僧・薫的、野中兼山を祭る。
○春野神社(いの町八田)
野中兼山が没した翌年、寛文4年の建立といわれる。当時は土佐藩に遠慮し、「野中」の名を避け、
春野神社と称した。
○春野神社(高知市春野町森山)
森山地区の新川は兼山の創設した町であり、後年、町民が相談して祭るという。
○野中神社(大月町柏島)
柏島の島民が兼山の徳を偲んで明治17年に造営した神社。

物部川土地改良区連合 | 野中兼山の評価から引用

この春野神社も、そうした神社の一つである。

1806年に、高知県吾川郡いの町八田の春野神社の分霊を、堰をみおろすこの地に移し祀った。

参道

この日は新川のおとしを見た。

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その後、春野神社にやってきた。

といっても、新川のおとしのすぐ脇の土手に鎮座する。

木製の鳥居をくぐる。

手水舎。

参拝

社。

まるで金庫のようにガッチリと施錠されているのが印象的。

こちらは隣に鎮座する祠。

祭神はよく分からない。

祈念碑。

明治の建立のようだ。

参拝を終え、恵比須神社に向かった。

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感想

野中兼山は教科書に出てくるような偉人であるが、江戸時代には不遇の最期を遂げた。

しかしその偉業のおかげで、この春野の地は現在では野菜王国高知の中でも屈指の野菜の生産地として発展している。

また往年の新川の繁栄は、まさに野中兼山が築いた新川のおとしのおかげである。

住民が篤く信仰するのも、当然だろう。

実際、小さな神社ではあるがとてもきれいに維持されていた。

周囲も新川のおとしや涼月橋など美しい景色が広がる。

ぜひここまで足を伸ばして、参拝したい。