牧野公園のバイカオウレン(高知県佐川町) ⇒ 珈琲館苑〜地場産センター〜牧野富太郎ふるさと館〜金峰神社〜牧野公園

牧野公園

珈琲館苑

この日は2021年2月12日、自宅を車で出発し、珈琲館苑にやってきた。自宅を車で出発し 苑にやってきた

珈琲館苑(高知県日高村) ⇒ 天井が高い木の香りがしそうなゆったり空間で日替わりランチ
珈琲館苑とは 珈琲館苑(こーひーかんえん)は、高知県高岡郡日高村岩目地(こうちけんたかおかぐんひだかむらいわめじ)にある喫茶店だ。 ...

この日の日替わりランチは、塩鮭と焼肉だった。この日の日替わりランチは 塩鮭と焼肉だった

さすが珈琲館、食後のコーヒーがおいしい。さすが珈琲館 食後のコーヒーがおいしい

牧野公園のバイカオウレン(高知県佐川町) ⇒ 珈琲館苑〜地場産センター〜牧野富太郎ふるさと館〜金峰神社〜牧野公園

地場産センター

佐川町の地場産センターにやってきた。佐川町の地場産センターにやってきた

ここの観光用駐車場に車を停める。

2階に上がると、佐川町の古い街並みのジオラマがある。2階に上がると 佐川町の古い街並みのジオラマがある

雛祭りも近いと言うことで、ひな人形が飾られていた。雛祭りも近いと言うことで ひな人形が飾られていた

梅花黄蓮という喫茶コーナーもある。梅花黄蓮という喫茶コーナーもある

以前ランチをしたことがある。

斗賀野 ⇒ 遺跡や神社が鎮座する歴史ある集落
斗賀野とは 斗賀野(とがの)は、高知県高岡郡佐川町の南のエリアだ。 仁淀川の中流域になる。 以前はセメント積み出しの基地として発展した...

佐川町は司牡丹という酒蔵がある。佐川町は司牡丹という酒蔵がある

牧野富太郎ふるさと館

地場産センターを出て、町を歩いて行く。地場産センターを出て 町を歩いて行く

牧野富太郎ふるさと館にやってきた。
牧野富太郎ふるさと館にやってきた

牧野富太郎ふるさと館 | 各エリア詳細情報 | 「リョーマの休日~自然&体験キャンペーン~」公式サイト | 高知県観光キャンペーン日本植物学の父・牧野富太郎博士の生家跡に建つ顕彰館。博士のふるさとならではの品を展示。

牧野富太郎ふるさと館 | 各エリア詳細情報 | 「リョーマの休日~自然&体験キャンペーン~」公式サイト | 高知県観光キャンペーン から引用

牧野富太郎は佐川町出身の植物学者で、その名を冠した植物園が高知市にある。

牧野植物園(高知市五台山) ⇒ 花一杯の公園としても楽しめるおすすめスポット
牧野植物園は、高知県高知市五台山にある植物園だ。その名称は、高知県出身の植物学者「牧野富太郎(まきのとみたろう)」に由来する。今回はこんこん山広場に初めて行ったが、とてもきれいだった。これだけでも十分に入園料を払う価値がありそうだ。ここは単なる花公園と思って入っても十分に楽しめる。

中に入ってみた。中に入ってみた

入館無料なのに、手づくりの押し花の栞までもらってしまった。入館無料なのに 手づくりの押し花の栞までもらってしまった

金峰神社

金峰神社(きんぷじんじゃ)に参拝する。
金峰神社 きんぷじんじゃ に参拝する

金峰神社 | 観光スポット | 一般社団法人 仁淀ブルー観光協議会牧野富太郎博士が幼少の頃、この神社の境内でバイカオウレンなのど植物を採取し、植物への興味を広げた逸話は有名で、博士のその後の人生を決定づけた重要な場所ともいえる。

金峰神社 | 観光スポット | 一般社団法人 仁淀ブルー観光協議会 から引用

牧野公園駐車場

牧野公園の駐車場に到着。牧野公園の駐車場に到着

今回は清源寺には立ち寄らず、先に進む。

佐川町 ⇒ 白壁が続く街並みを歩き名園に紅葉を見る
佐川町とは 高知県高岡郡佐川町(さかわちょう)は、仁淀川の中流域に位置する町だ。 仁淀川の清流を利用して古くから酒造が盛んで、現在も司牡...

ミツマタの木に、花の蕾が膨らんできていた。ミツマタの木に 花の蕾が膨らんできていた

英彦山でミツマタが満開だったのを思い出した。

英彦山⇒山伏で賑わう修験の山は多くの試練を与えてくれた
英彦山(ひこさん)は、福岡県田川郡にある日本二百名山。 標高は1,199mの山とそれほどでもないが、修験の山として知られる。 英...

稲荷神社

稲荷神社(いなりじんじゃ)の赤い鳥居を抜ける。稲荷神社 いなりじんじゃ の赤い鳥居を抜ける

恵比寿神社と稲荷神社が合祀されている。恵比寿神社と稲荷神社が合祀されている

牧野富太郎の墓

牧野富太郎の墓に参拝する。牧野富太郎の墓に参拝する

その隣に、田中光顕(たなかみつあき)の墓もある。
その隣に 田中光顕 たなかみつあき の墓もある

さかわの栞(しおり)[オフィシャル]|さかわ観光協会|田中光顕元宮内大臣で、動乱の幕末期を駆け抜け、生き抜いた最後の生き証人としても知られる田中光顕(たなかみつあき)は、天保14(1843)年、土佐国高岡郡佐川村(現在の佐川町)に、深尾家の家臣、浜田金治の息子として生まれました。
郷校・名教館で学び、叔父・那須信吾の影響を受け、文久元年(1861)、武市半平太を盟主とする土佐勤王党に入党。
3年後の元治元年(1864)には、同志らと土佐を脱藩。その時の決意を詠んだのが冒頭の句です。
以後田中は長州へ脱藩し、志士としての活動に奔走します。

坂本龍馬や中岡慎太郎らとともに薩長同盟の実現に尽力。
龍馬と慎太郎が暗殺された際、現場に駆け付けた一人としても知られています。

明治新政府では、陸軍少将、初代内閣書記官長、警視総監などの要職を歴任。明治31(1898)年からは、12年間という長い間宮内大臣をつとめました。

さかわの栞(しおり)[オフィシャル]|さかわ観光協会|田中光顕 から引用

バイカオウレン

バイカオウレンが咲いていた。バイカオウレンが咲いていた

小さくて可憐な花だ。IMG 2808

見るのは加茂地区に群生しているのを見に行って以来だ。

バイカオウレン花祭り(高知県佐川町) ⇒ 清宝山までハイキング
バイカオウレン花祭りとは バイカオウレン(梅花黄蓮)は、キンポウゲ科の花だ。 バイカオウレンはその名のとおり、ウメに似た形の白い...

セリバオウレン。
IMG 2811

福寿草(ふくじゅそう)も咲いていた。IMG 2813

物見岩

佐川城趾の碑。佐川城趾の碑

土佐 佐川城-城郭放浪記築城年代は定かではないが天正元年(1573年)頃に久武内蔵助によって築かれたと云われる。

松尾城の中村越前守信義が元亀2年(1571年)に長宗我部元親に降ると、元親の重臣久武内蔵助が松尾城主となったが、城内の水不足を嫌い向かいの山に築いたのが佐川城である。

関が原合戦によって長宗我部氏が改易となり、変わって山内一豊が土佐へ入国すると、その重臣深尾和泉守重良が一万石を賜って佐川城主となった。しかし、元和の一国一城令によって佐川城は廃城となり、東麓に土居屋敷を構えて明治まで続いた。

土佐 佐川城-城郭放浪記 から引用

物見岩。物見岩

セツブンソウ。セツブンソウ

ユキワリイチゲ。ユキワリイチゲ

青山文庫(せいざんぶんこ)まで下りてきた。青山文庫 せいざんぶんこ まで下りてきた

佐川町立青山文庫 | 佐川町役場青山文庫は、名前に「文庫」とついているので図書館と間違われることがありますが、坂本龍馬・中岡慎太郎・武市瑞山らの維新関係資料や、江戸時代に佐川の領主であった土佐藩筆頭家老深尾家の資料などを展示している博物館です。
幕末維新の生き証人であった、佐川町出身の元宮内大臣田中光顕(みつあき)が収集した志士たちの書状や画などの遺墨コレクションを中核に、主に近世・近代の歴史資料を収蔵しています。

佐川町立青山文庫 | 佐川町役場 から引用

ナウマンカルストに向かった。

ナウマンカルスト(高知県佐川町) ⇒ 酒蔵の道〜ナウマンカルスト〜斗佐トンネル〜松尾八幡宮〜春日神社
ナウマンカルストとは ナウマンカルストは、高知県高岡郡佐川町(こうちけんたかおかぐんさかわちょう)にある公園だ。 カルスト地形が特徴的で...
合計距離: 9918 m
最高点の標高: 167 m
最低点の標高: 76 m
累積標高(上り): 489 m
累積標高(下り): -483 m
総所要時間: 03:32:23
Download file: 20210212_佐川町.gpx