双龍の辻
2021年10月11日、この日は吾妻小富士をハイキングした。
そこから車で、双龍の辻(そうりゅうのつじ)にやってきた。
双龍の辻は磐梯吾妻スカイライン途中の絶景スポットで、磐梯山と安達太良山の双竜を眺望できることから命名された。
吾妻八景のひとつとされる。
紅葉を見ながら、ドライブを続ける。
道の駅つちゆ
道の駅つちゆに到着。
日曜日ということもあり、駐車場はとても混雑している。
道の駅つちゆは、福島県福島市松川町水原南沢(ふくしまけんふくしましまつかわまちみずはらみなみざわ)にある道の駅だ。
土湯温泉郷の入口にある。
標高800mの高原。土湯温泉郷の入口にあり、周囲の眺望が素晴らしい。手づくりの「名物ちぎりこんにゃく」や「こんにゃくあいす」が大人気。近隣の温泉の湯めぐりの拠点としても便利。階段を通じる「きぼっこの森」は、散策・森林浴も楽しめる。
案内看板でルートを確認するが、よく分かっていない(苦笑)
店内はこんな感じ。
ここでお土産を購入。
神炊館神社
車で神炊館神社(おたきやじんじゃ)にやってきた。
最高点の標高: 1616 m
最低点の標高: 210 m
累積標高(上り): 446 m
累積標高(下り): -1766 m
総所要時間: 03:52:59
神炊館神社は、福島県須賀川市諏訪町(ふくしまけんすかがわしすわまち)にある奥州須賀川の総鎮守だ。
天照大神からお産まれになった天津日子根命を祖とする建美依米命(たけみよりめのみこと)は成務天皇の時代に石瀬の国造として須賀川の地に御出でになりました。同命は、これから始める国づくりの仕事が滞りなく進み、人々が安全で幸福な暮らしを送ることができるよう、新穀を炊いで天地の神々に捧げ、お祈りの儀式を行い、その場所にお社を建てました。後に人々は建美依米命を慕って、この里を守る神様として祀りました。これが神炊館神社(おたきやじんじゃ)の始まりです。
神社前に無料駐車場がある。
室町時代に須賀川城主であった二階堂為氏が信州諏訪神を合祀したことから、地元では「お諏訪さま」とも呼ばれる。
拝殿。
祭神は、建美依米命(たけみよりめのみこと)、建許呂命(たけころのみこと)、建美名方命(たけみなかたのみこと)、八坂止売命(やさかとめのみこと)、誉田別命(ほむたわけのみこと)、宇迦魂命(うかのみたまのみこと)
境内
三八稲荷に参拝する。
江戸時代に三と八の日に市が開かれた六斉市の守り神だという。
江戸時代、月に六回、三と八の日に市が開かれた六斉市の守り神で、「三八稲荷」と親しまれ商売繁盛が祈念されました。
この地方の米の相場はこの市で決まりました。
奥に見えるのは、三八稲荷の奥宮だ。
天満宮に移動する。
ここは須賀川城の外堀跡だ。
この辺り一帯が、須賀川城趾なの。
天正十七年(1589)摺上原の合戦で会津蘆名氏を滅ぼした政宗は、その余勢を駆って釈迦堂川北の陣場山(桐陽高校付近)に陣を構え、須賀川城を手中に収めようとしました。このとき、須賀川城主は二階堂盛義の後室大乗院で、気丈な女城主であり、伊達晴宗の娘として生まれ政宗の叔母に当たる人物でした。政宗は攻撃に先立ち、二階堂氏へ帰属を働きかけるも、大乗院は降伏することを快しとせず、釈迦堂川を挟んで合戦の火蓋が切られました。城は戦火によって灰燼に帰しましたが、城址碑が建つ二階堂神社に本丸跡が残るほか、西側の長松院境内に空堀と土塁跡、同院北の神炊館神社には外濠跡が残っています。
須賀川城跡 – 南奥羽歴史散歩 から引用
これが外堀跡のようだ。
1689年に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中で神炊館神社に参詣したことが、曽良の「随行日記」に記されている。
「うらみせて涼しき瀧の心哉」
松尾芭蕉は元禄2年(1689年)に「奥の細道」の旅の途次、須賀川に8日間滞在しました。その間に当神社に参詣したことが、曽良の「随行日記」4月24日の条に記されています。碑には曽良の真筆の日記の関係箇所を刻字しました。
「うらみせて・・・」の句は、『宗祇戻し』から写刻しています。この句は岩波版「芭蕉俳句集」(492)、加藤 楸邨「芭蕉全句」(525)等に芭蕉の句として採録されています。
明治41年建立の表参道鳥居。
由緒書き。
二階堂神社
参拝を終え、須賀川市の町を歩いて行く。
須賀川城は、今は二階堂神社になっている。
1399年に二階堂行続が築城し、1627年に加藤嘉明が会津藩主となった後、まもなく廃城となった。
さっき参拝した神炊館神社は諏訪宮として描かれている。
参拝する。
長松院
長松院(ちょうしょういん)は、福島県須賀川市諏訪町(ふくしまけんすかがわしすわまち)にある曹洞宗の寺だ。
萬年山長松院は福島県須賀川市諏訪町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。長松院の創建は室町時代の文明年間(1469~1487年)に当時岩崎郡一帯を支配していた須賀川城主二階堂山城守行詮の室が開基となり麟山禅師を招いて開山したのが始まりとされます。
長松院(須賀川市) から引用
長禄寺の末寺で、室町時代の文明年間(1469~1487年)に須賀川城主二階堂山城守行詮の室が開基し、その戒名を院名とした。
本堂。
相楽等躬(さがらとうきゅう)の墓があった。
江戸時代の俳人で、「おくのほそ道」の旅の途中の松尾芭蕉を数日泊めてもてなしたという。
1638-1715 江戸時代前期-中期の俳人。
寛永15年生まれ。陸奥(むつ)須賀川(福島県)の人。江戸の石田未得,岸本調和にまなぶ。元禄(げんろく)2年「おくのほそ道」の旅の途中の松尾芭蕉(ばしょう)を数日泊めてもてなした。晩年は内藤露沾(ろせん)と親交があった。正徳(しょうとく)5年11月19日死去。78歳。通称は伊左衛門。別号に乍憚,乍単斎,藤躬。編著に「伊達衣」など。
相楽等躬とは – コトバンク から引用
謎の巨大建造物を発見。
このあたりが須賀川城の土塁跡だ。
諏訪の小径
神炊館神社に戻ってきた。
ここは諏訪の小径(すわのこみち)という遊歩道になっている。
宮本・諏訪町町内会の企画、尽力により創られた遊歩道。
木漏れ日の下、水路に遊ぶ魚を愛でるもよし、12基の赤い行灯でライトアップされた路を逍遥するもよし、地元のみならず神社や諏訪町を訪れる方々にも親しまれている歩道です。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 279 m
最低点の標高: 258 m
累積標高(上り): 73 m
累積標高(下り): -80 m
総所要時間: 00:26:14