富士山本宮浅間大社とは
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市宮町(しずおかけんふじのみやしみやちょう)にある駿河国一宮だ。
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である。
浅間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されるようになりました。
富士山本宮浅間大社:御由緒 から引用
富士山本宮浅間大社
静岡県富士宮市宮町1−1
0544-27-2002
駐車場
2023年1月11日、この日は三島スカイウォークを歩いた。
そこから車で、富士宮市にやってきた。
市街地を走る。
富士山本宮浅間大社の前を通過。
駐車場は、裏通りにある。
駐車場はとても広い。
有料駐車場だが、参拝者は30分以内無料だという。
最高点の標高: 409 m
最低点の標高: 69 m
累積標高(上り): 622 m
累積標高(下り): -915 m
総所要時間: 00:44:42
境内
富士宮は、源頼朝が巻狩りをした地だ。
日本三大仇討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」の舞台でもある。
富士宮は鎌倉時代に、源頼朝による富士の巻狩りが行われた地。
曽我兄弟が富士の巻狩りの際に父親の仇を討った「曽我兄弟の仇討ち」の舞台でもあります。
鎌倉時代に想いを馳せて、歴史を感じてみませんか?
大河ドラマで見たばかりなので、感慨深い。
駿河国一宮だ。
前回ここに参拝した時は富士山が全く見えなかった。
このあたりは20回ほど通ったが、富士山が見えたのは2回目だ(苦笑)
本宮の境内の広さは約17000坪あるそうだ。
流鏑馬像(やぶさめぞう)がある。
1193年に源頼朝が巻狩りを行った際に流鏑馬を奉納したことから始り、毎年5月5日に奉納されるそうだ。
浅間大社の流鏑馬は、社伝によると建久4年(1193)源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、当大社に流鏑馬を奉納し武運長久・天下太平を祈願したことから始まるとされています。
富士山本宮浅間大社:流鏑馬祭 5月の行事 から引用
楼門は、静岡県指定文化財になっている。
間口4間、奥行2間半、高さ6間半2階入母屋造で、正面・左右脇に扉が付きます。楼門の左右には随身が安置してあり背銘に慶長19年(1614)の年号があります。
楼門は、間口4間、奥行2間半、高さ6間半2階入母屋造で、正面・左右脇に扉が付きます。楼門の左右には随身が安置してあり背銘に慶長19年(1614)の年号があります。楼門に掲げる扁額は聖護院入道盈仁親王の御筆で文政2年に制作されたものです。
富士山本宮浅間大社:境内・社殿 から引用
随身は1614年のものだという。
拝殿。
徳川家康が造営したもので、静岡県の有形文化財に指定されている。
内部はこんな感じ。
本殿も徳川家康が造営したもので、国の重要文化財に指定されている。
1604年に奉納された。
信玄桜は、武田信玄がお手植えしたとされる江戸彼岸の枝垂れ桜の二世だ。
湧玉池
天然記念物の湧玉池(わくたまいけ)に向かう。
富士山の雪解け水が湧出して作られている。
東脇門を出ると平安朝の歌人平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠じた湧玉池があります。この池は富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するもので、特別天然記念物に指定されています。 清水の湧出する水源の岩上には朱塗優雅な水屋神社があります。富士山登山者はこの霊水に禊ぎをして登山する古くからの習わしがあります。
富士山本宮浅間大社:境内・社殿 から引用
霊水が湧きだし、『平成の名水百選』に選ばれた清水が味わえる。
水屋神社が鎮座する。
天神社に参拝する。
禊祓所があった。
おじいは不浄な心をここで洗い流して下さい。
洗い流さないといけない物がたくさんある、おじいとおばあ(苦笑)
三島の源兵衛川(げんべえがわ)を歩いたことを思い出した。
稲荷神社があった。
神路橋を渡るおばあ。
対岸には厳島神社が鎮座する。
湧玉池はここから流れ出し、神田川となる。
水量にビックリ。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 136 m
最低点の標高: 106 m
累積標高(上り): 77 m
累積標高(下り): -66 m
総所要時間: 00:17:01