鹽竈神社とは
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県塩竈市一森山(みやぎけんしおがましいちもりやま )にある神社だ。
陸奥国一宮で、祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)
当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。
鹽竈神社の御由緒|神社について|鹽竈神社 から引用
鹽竈神社
〒985-8510 宮城県塩竈市一森山1−1
022-367-1611
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駐車場
2023年10月16日、この日はドーミーインExpress仙台シーサイドに宿泊していた。
そこから車で、仙台市内を走る。
塩竈市(しおがまし)の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)にやってきた。
駐車場は鳥居の奥にある。
この先に大きな駐車場があるそうだ。
最高点の標高: 27 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 48 m
累積標高(下り): -39 m
総所要時間: 00:23:32
境内
鉄灯籠がある。
江戸幕府が要請したフランス軍事顧問団の副隊長ジュール・ブリュネが描いたスケッチ記念碑。
1868年に帰港した際、この石段のスケッチを残した。
映画「ラスト サムライ」でトム・クルーズが演じた主人公ネイサン・オールグレン大尉のモデルと言われている。
1663年建立の鳥居には姫路藩主であった酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)が書いた「陸奥国一宮」の扁額。
石段で息が切れたおじい(汗;)
終わりと思ったら、もう一段あった(汗;)
帆手祭は1682年、花祭は1778年から続いているそうだ。
重さ1tの神輿がこの石段を往復するそうだ。
最大の見所は、重さ1トンもの神輿が16名の担ぎ手によって、202段もの急な表参道(通称:男坂)を下りる様子である。その緊迫感は、参拝者も思わず息を呑むほど。お帰りの神輿が表参道を上がる様子も迫力満点。500人を超えるきらびやかなお供、稚児行列を従えた市内の御神幸など、港町塩竈が一日中活気にあふれ、市民にとっては、春の風物詩となっている。
随身門(ずいしんもん)は1704年の建立で、仙台藩4代藩主の伊達綱村が寄進した。
国の重要文化財に指定されている。
唐門(からもん)
切妻造の四脚門で、国の重要文化財。
参拝
左右宮拝殿も1704年の建立。
左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られている。
別宮拝殿は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が祀られている。
文治(ぶんじ)の鉄灯は、1187年に藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の三男である和泉三郎忠衡(いずみさぶろうただひら)が奉納した物だ。
1689年に松尾芭蕉はこの鉄灯を観て「おくのほそ道」に記した。
本殿は檜皮葺き。
別宮に参拝する。
別宮だけ方向が違うのは、海に背を向けて建って海難を背負ってくれるからだという。
ここに祀られている塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が主祭神とされる。
「別」とはメインに対するサブやセカンドという2番目の意味ではなく、特別(スペシャル)な社と言う意味だそうだ。
◇主祭神を祀る宮がなぜ別宮というのでしょう。
→この別とはメインに対するサブやセカンドという2番目の意味ではなく、特別(スペシャル)な社と言う意味です。
鹽竈神社の御由緒|神社について|鹽竈神社 から引用
「献花台」ならぬ「献魚台」
銅鉄合製燈籠:文化燈籠(どうてつごうせいとうろう:ぶんかとうろう)
1809年に蝦夷地警備に出役した伊達家九代藩主周宗が、無事を感謝して寄進した。
伊達家九代藩主周宗が幕命により蝦夷地警備に出役、 無事任務遂行を感謝して文化6年 (1809年) に、 銅鉄合製の精巧な花鳥、 動物をはめこんだ大灯籠を寄進しました。 竿には儒学者田辺匡敕の由来記が刻銘されています。 高さ4.8。(昭和51年10月1日指定)
文化の港 シオーモ | 銅鉄合製燈籠:文化燈籠 A lantern made of copper and iron: Bunka lantern から引用
多羅葉(たらよう)は樹齢500年で、宮城県の天然記念物に指定されている。
日時計。
宮城県内最古の日時計で、1792年に藤塚知明が寄進した。
陸奥国の総鎮守。
志波彦神社
東参道の石段を下りていく。
さっき上ってきた参道が表参道で、こちらは裏参道になる。
由緒書き。
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、陸奥国一宮だ。
祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)
志波彦神社(しわひこじんじゃ)の由緒書き。
1874年に明治天皇の思し召しにより境内に遷座した。
祭神は志波彦大神(しわひこのおおかみ)
志波彦大神は冠川河畔に降臨したと伝わる。
665年に官幣が使わされたとされる古い神社だ。
中世以降は長らく衰退していたが、遷宮して現在の形となった。
境内から松島が見える。
神門。
この拝殿も大きい。
農耕の神とされる。
内部はこんな感じ。
この鉄灯籠も立派だ。
日本庭園がある。
御神苑(ごしんえん)は1876年に明治天皇が東北巡幸の際、「またとない良い景色」と言ったことから「亦無岡(またなのおか)」と命名された。
志波彦神社の鳥居。
鋳銭釜(いせんがま)の説明看板。
仙台藩は幕府の許可を得て銅銭を鋳造していた。
鹽竈神社博物館。
旧亀井邸
七曲坂(ななまがりざか)は奈良時代からある最も古い参道。
さらに東参道を進む。
嫌がるおばあ。
この下は標高差がかなりあり、かつては海だった。
旧亀井邸(きゅうかめいてい)まで歩いてきた。
総合商社「亀井商店(現・カメイ株式会社)」の初代社長である亀井文平氏1924年に建てた。
亀井邸は建築史的に見ると「和洋併置式住宅」と呼ばれる様式の建物です。この様式は、明治時代に上流階級(皇族、華族階級)の大邸宅に用いられた「和洋二館住宅」を、上層階級の庶民であれば手が届くようにしたものです。亀井邸は、伝統的な和館(日本建築)に洋館(西洋建築)を併置して建てられています。和館と洋館、共に豊富な資金と、優れた材料、優れた技術が投入され、随所に当時流行した様々な意匠(デザイン)を取り込みつつ相当に手をかけて造りこんでいます。
文化の港 シオーモ | 亀井邸 から引用
和洋併置式住宅だ。
無料と知ると足取りが軽いおばあ。
昔の街並みのジオラマがあった。
実家を思い出して懐かしがるおばあ。
金庫があった。
道路まで下りてきた。
もとは海だった道は整備され、国土交通省の「日本風景街道」に選ばれている。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 56 m
最低点の標高: 8 m
累積標高(上り): 68 m
累積標高(下り): -69 m
総所要時間: 00:36:56