二見興玉神社とは
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江(みえけんいせしふたみちょうえ)にある神社だ。
祭神は、興玉大神(おきたまのおおかみ)つまり猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、宇迦乃御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
境内にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。
猿田彦大神は天孫降臨の節、天八衢にて天孫をお迎えご先導を以て御神威を顕わされました。
その後、「吾は伊勢の狭長田五十鈴川上にいかん」と仰せられ、天鈿女命の侍送により伊勢に還りこの地に住まわれました。
垂仁天皇の皇女倭姫命が天照皇大御神を奉戴され、この二見浦に御舟を停められたとき、興玉大神は海上の厳島に出でまされ、御神幸を守護し奉り五十鈴の川上に大宮地を定められました。
そして、未来永劫、皇大神宮大宮地の守護神として鎮まられ、内宮御垣内に興玉神が奉斎せられるに至りました。
当社の創始は、此の厳島を大神の坐す島と崇め敬い興玉神石と尊称し夫婦岩(立石)として注連縄を張り、その前に遥拝所を設け拝礼致したことによります。
その後、天平年間に僧行基がこの地に参り、興玉神の本地垂跡と称し観世音菩薩を本尊に迎え江寺を創建、興玉社を鎮守の神として同寺の境内に社殿を設け、仏者の手において祭祀が執り行われました。
時が移り明治9年、神仏分離により新たに元の立石前に神社として御造営御鎮座されたのであります。

駐車場
2022年1月6日、この日は伊勢神宮内宮に参拝した。

そこから車で、二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)にやってきた。
無料gpxファイルのダウンロードはこちら /wp-content/uploads/gpx/20220106_伊勢神宮移動.gpx海岸の堤防沿いに、無料の駐車場が整備されている。
夫婦岩
由緒書き。
夫婦岩は、興玉大神が降り立った厳島(興玉神石)を守る結界として注連縄を張ったものだ。
天平年間(729年〜748年)に行基が江寺(えでら)を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とした。
明治9年の神仏分離で、この地に鎮座していた三宮神社(三狐神社)と興玉社が合祀され、明治43年に二見興玉神社と改められた。
夫婦岩が見えてきた。
前回参拝した時は台風の暴風雨の中だったのが晴れてきて、霊験を感じた。
二見興玉神社
二見興玉神社にはカエルの置物が供えられている。
これは二見蛙(ふたみがえる)といい、「無事かえる・貸したものがかえる・若かえる」などの縁起があるといわれる。
境内に多く見受けられる蛙の奉献は、元来この地が御日の神の拝所であり、皇大神を御日の神と崇めたる時代に在りて、祝詞式に、所謂、谷蟆々の狭渡る極みなどあり、日の神に谷蟆々(蛙)を献じたるものなりと伝えられ、又、御神石である興玉神石を伊勢の海の守護の澳魂とあがめ、龍神崇拝の精神を一つにして、龍神は雨を喜ぶと云う意味から蛙を献ずるのであるといわれ、社伝には神宮参拝者が、旅の安全、航海の安穏を祈念して無事「かえる」の願からでたものとも云い伝えられています。
当地は不浄汚穢を禊祓う霊場であるところから、蛙を戴いて小児の痒、腫物その他病痛の邪気を祓って必ず快癒といわれ、信奉されてきました。
現在におきましても、御参拝の皆様は無事かえる・貸したものがかえる・若かえるなどの縁起により御利益をいただいております。
二見浦は神代の昔より霊域でその一帯を禊浜といい、伊勢参宮を間近に控えた参拝者が禊祓をした。
「浜参宮」といい、本当はここに参拝をして禊をしてから伊勢神宮に参拝するのが習わしなのだが、今回は逆ルートだ(汗;)
参拝は順番待ち。
絵馬の絵柄も夫婦岩だ。
興玉神石
参拝を終え、さらに先に進む。
興玉神石の遙拝所。
興玉神石は夫婦岩の沖合700mの岩礁で、猿田彦大神が降り立ったと伝わる。
東西240m、南北120m、周囲960m、高さ7mの楕円形をした平岩で、三ヶ所に岩柱があるという。
宝暦年間の津波で海底が沈下し、今は暗礁となって、現在は船でなければ拝むことが出来ない。
夫婦岩から東北に700m先に海中にお鎮まりになられる霊岩を興玉神石と敬っております。
興玉石、鏡岩、又御膳岩ともよばれてまいりました。
東西240m、南北120m、周囲960m、高さ7mの楕円形をした平岩で、三ヶ所に岩柱があります。
神代の昔、倭姫命が天照皇大御神を奉戴して二見浦に御船で入られました時に、猿田彦大神がお出迎えした霊石で、猿田彦大神出現の霊跡であります。
海上に岩頭が出ておりましたが、宝暦年間の津波で海底が沈下し、今は暗礁となって、現在は船でなければ拝むことが出来ません。
航海の人は澳魂と崇めて伊勢の海の守護神とおそれ敬って航海の安全を祈願し、興玉神石の近くでは漁業も慎しまれています。
4月頃の大潮の時に興玉神石をうっすらと拝する事ができます。
夫婦岩はこの「興玉神石」と、岩の間から昇る「日の大神」を拝する鳥居の役割をしている。
ただし岩の間から朝日が昇るのは、夏至の頃の3ヶ月間だけだそうだ。
龍宮社
さらに先に進む。
禊橋(みそぎばし)を渡る。
この先に、龍宮社(りゅうぐうしゃ)が鎮座する。
祭神は、綿津見大神(わたつみのおおかみ)
往古この郷に津波襲来し、郷人困窮して神の御加護を願う外はなしとして海の守護神と仰ぐ綿津見大神を勧請して奉祀され、その後の寛保の荒浪、明治の高潮にも御神威の霊顕があり被害を減じ益々信奉の念を高められました。
その御神徳の程甚だ厚く地元氏子は元より、遠近の数多の崇敬者の方々から龍神さん、龍宮さんと厚い御崇敬を賜っております。
寛政4年5月15日に氏子地域である江地区が大津波により流出、難を逃れた家はわずか5、6軒という大被害に見舞われました。
その様な中、村中施し合い、この危機から立ち直りました。
現在、龍宮社は陰暦5月15日に例祭併せて郷中施神事を執り行います。
この祭典では、きゅうり・なす・みる・おご・まつ菜等が供えられ、「津波が急にきたら見るな、待つな、おごるな」の先人等の尊い教えが今もしっかりと生きています。
「契の松(ちぎりのまつ)」があった。
江戸末期に阿波国の若い男女が身を海水に浴び塩垢離(みそぎ)をして、着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫の繁栄を祈願したという。
江戸時代末期御蔭参り、抜け参りと伊勢参詣が最も賑わった頃、阿波国より若い男女が、この二見浦の浜で身を海水に浴び塩垢離(みそぎ)をして、着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫の繁栄を祈願したところから「ちぎりの松」と呼ばれております。
昭和28年9月25日に台風13号により流失し、平成3年5月23日に40年ぶりに昔ながらに再現されました。
×身投げ
〇祈願
ここでUターンし、祓橋を渡り返す。
無理やりおばあにカエルのマネをさせるおじい(笑)
神域で不遜なおじいとおばあ。
天の岩屋(あまのいわや)は三宮神社が鎮座していた場所で、現在は興玉社と合祀され二見興玉神社となっている。
参道の突堤のほとりに東面の岩窟がありますが、この岩窟は往古より宇迦御魂大神を祀った三宮神社がご鎮座されておりましたが、文禄年間に外側の境内に遷祀されました。
古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられて崇拝されております。
×天の岩戸
〇天の岩屋
車で先に進んだ。
