雪蹊寺とは
雪蹊寺(せっけいじ)は高知県高知市(こうちけんこうちし)にある寺だ。
四国八十八ヶ所霊場第33番札所で本尊は薬師如来。

雪蹊寺
〒781-0270 高知県高知市長浜857−3
088-837-2233
【歴史ファン必見】長宗我部元親の菩提寺!初陣の長浜城址と滅亡の大坂夏の陣の記憶を辿る旅!【旅行VLOG、レビュー】雪蹊寺は四国八十八ヶ所霊場第33番札所で本尊の薬師如来は運慶の作!隣接して秦神社が鎮座
長浜
2025年2月21日、この日は高知県高知市(こうちけんこうちし)にある若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)に参拝した。

そこから歩いて行く。
雪蹊寺(せっけいじ)に向かう。
蛇を発見。
シマヘビのようだ。
ビワの木。
このあたりは長浜(ながはま)という土地でかつては吾川郡(あがわぐん)だった。
1889年(明治22年)町村制の施行により、長浜村・横浜村・瀬戸村・藻洲潟村の区域をもって長浜村が発足した。
1942年(昭和17年)に高知市に編入された。
梅が咲いていた。
梅にうぐいす。
新川川(しんかわがわ)は高い堤防で見えない。
雪蹊寺橋を渡る。
これを下っていくと三里への渡船場がある。

秦神社
この道は昔はとても狭かった。
おばあは子供の頃にここによく来ていた。
秦神社(はだじんじゃ)に参拝する。

秦神社
〒781-0270 高知県高知市長浜857−1
088-841-2464
長宗我部氏は中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称した。
祭神は長宗我部元親。
明治の廃仏毀釈で長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺が廃寺となった。
このため旧雪蹊寺本堂跡に明治4年(1871年)に建立された。
長宗我部元親がイケメン(笑)
最近は歴史ゲームの影響でこうしたイラストが増えた。
大坂夏の陣で長宗我部盛親が処刑され、長宗我部氏は滅亡した。
平成27年に長宗我部盛親400年忌祭が執り行われ、慰霊碑が建立された。
大河ドラマ「麒麟がくる」でも長宗我部盛親が登場していた。
後ろの山に長浜城があった。
本山氏の居城であったが長宗我部国親が攻略し、取り返そうとした本山氏と戸ノ本で戦闘となった。
これが長宗我部元親の初陣となった。
戸次川(へつぎがわ)の戦いの戦没者名標。
豊臣軍として参戦した長宗我部元親はこの戦いで大敗し、嫡男の信親も戦死した。
弟の盛親が家督を相続することとなった。
拝殿の後ろに盛親の慰霊碑がある。
平成27年に建立された。
西宮神社。
戸次川(へつぎがわ)の戦いで生き残った者が建立した。
雪蹊寺
雪蹊寺(せっけいじ)に向かう。

大師堂。
本堂。
平成16年に改築された。
四国八十八ヶ所霊場第33番札所で本尊は薬師如来。
賓頭盧(びんずる)様は悪いところを直してくれるとされる。
全身(苦笑)
空海(弘法大師)が開基した。
その時は「少林山高福寺」と称したが、鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めた。
運慶が本尊の薬師如来を、湛慶が毘沙門天と脇侍3体を刻んだ。
大師堂は明治43年の建立。
馬頭観音堂。
土佐西国第二十番霊場。
安産子安地蔵堂。
正一位稲荷大明神。
雪蹊寺は一寺荒廃していたが、長宗我部元親が再興した。
慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。
明治の廃仏毀釈で廃寺となったが明治12年(1879年)大玄和尚により再興された。
参拝を終え、浦戸湾の方に歩いて行く。
桂浜花街道
新川川沿いに歩いて行く。
嶋宮神社にやってきた。
祭神は田心姫命、市寸島姫命、瑞津姫命。
昔は浦戸湾内の玉島・狭島・島宮を三島と称し三女神をお祭りしていた。
現在ここは三方地続きとなり、島の面影は全くない。
嶋宮神社
〒781-0270 高知県高知市長浜4976
住吉神社まで歩いてきた。
祭神は底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)
住吉神社
〒781-0270 高知県高知市長浜6614
太平洋に出た。
桂浜花街道。
室戸岬も見える。
若宮八幡宮まで戻ってきた。