立江寺とは
橋池山(きょうちざん)摩尼院(まにいん)立江寺(たつえじ)は、徳島県小松島市立江町の寺だ。
第19番札所で、本尊は延命地蔵菩薩。
第19番札所立江寺|安産祈願・永代供養|徳島県小松島市
安産祈願・永代供養は立江寺へ。「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と呼ばれ古くより霊験のあらたかな寺とされ、高野山、善光寺などとならんで取り上げられている程に全国の善男善女の信仰の篤い名刹。
天平19年に聖武天皇の勅命により、光明皇后のご安産を祈願して建立された立江寺には、今も安産を祈願する人の姿が絶えない。「四国の総関所」として四国八十八ケ所の根本道場としても知られている。
駐車場
この日は宿泊していた月の宿を車で出発し、立江寺を目指した。
https://niyodogawa.org/blog/outdoor/car/onsen/9823/
立江寺には駐車場がないので、周辺の民間駐車場を利用する。
俺が停めたのは、立江寺にほど近い大きな駐車場だ。
ここから立江寺に向かって歩いて行く。
境内
すぐに、山門に到着だ。
山門には、仁王像と大きなわらじが据えられている。
ちょうど山門を郵便配達がバイクで通り抜けていった。
子授け地蔵尊。
参拝
本堂には、大きな紐が下がっている。
振り返ると、境内はこんな感じだ。
大師堂へ。
信仰の篤さを感じる。
先に進む。
黒髪堂
この先に、黒髪堂がある。
立江寺は「阿波の関所」として知られており、心がけの悪い人は先へ進めなくなると言われている。
夫殺しのお京がここで黒髪をむしり取られ、その髪が鐘の緒に巻き付いたと伝わる。
第19番札所立江寺|略縁起・由来|徳島県小松島市
石州浜田(現在の島根県浜田市)城下通町3丁目桜井屋銀兵衛にお京という娘あり、16歳の時大阪新町へ芸妓に売られ勤めるうち、要助という者と契りそめ、22歳の時大阪を脱走し生国浜田へ立ち帰り親に頼みて要助と夫婦になりしが、お京心様最も悪しく馴れるにつれ我儘増長し、鍛冶屋長蔵という密夫をつくり、之れを夫要助に嗅ぎ付けられ、二人とも散々に打ち擲されければ、邪見のお京は長蔵を手引きして、夫要助を打ち殺し、讃岐丸亀(現在の香川県丸亀市)へ渡り自害せんとするも気おくれし、後生のため四国巡拝をなさんものと当山まで来たり。地蔵尊を伏し拝まんとするや忽ちお京の黒髪逆立ち鐘の緒に巻きあげられ苦痛の体に長蔵狼狽し、院主へ救いを請いければ、院主は罪の次第を問いただし、お京懺悔すれば、不思議にも、お京の黒髪もろともに肉はぎて鐘の緒に残り辛じて命はたすかりける。
生国にて自害の時おくれ、当山まで来りて大罪をこうむるは天の然らしむところと両人改悛の心を起し発心出家して、当村田中山(当山より北へ500メートル・現在のお京塚)というところに庵をむすび一心に地蔵尊を念じ生涯を終われり、肉付鐘の緒を当山の堂に納め置くは享和3年(西暦1803年)の春のことなり。
その髪の毛がついたままの「肉付鐘の緒」が収められているそうだ。
由来書。
黒髪が無くならないように、じっくりと祈願しておいた(笑)
さらに白杉大明神にも参拝する。
参拝を終え、次の恩山寺を目指した。
感想
おどろおどろしい伝説が残る寺だが、とても明るくてきもちのいい寺だ。
ここから先は山深い鶴林寺、太龍寺と続くので、生半可な気持ちでは遍路できない。
https://niyodogawa.org/blog/outdoor/shrines-and-temples/temples/88kasho/9797/
「四国の総関所」とは関西方面から船で来た時の玄関口ということなのだろうが、そういう意味でも関所の意味があるような気がする。
最高点の標高: 9 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 8 m
累積標高(下り): -6 m
総所要時間: 00:13:41