毛越寺とは
毛越寺(もうつうじ)は、岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢(いわてけんにしいわいぐんひらいずみちょうひらいずみおおさわ)にある天台宗の寺だ。
世界遺産に登録されている。
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
毛越寺について │ 毛越寺 から引用
毛越寺
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58
0191-46-2331
世界遺産!岩手県の名刹【毛越寺】の魅力を徹底解説!国の特別史跡、特別名勝!850年に慈覚大師が開山した古刹【旅行VLOG、レビュー】国の史跡『田村信仰』の発祥地とされる達谷窟毘沙門堂も紹介!
達谷窟毘沙門堂
2023年10月17日、この日は厳美渓(げんびけい)を歩いた。
そこから車で、県道31号線を走る。
達谷窟(たっこくのいわや)にやってきた。
達谷窟(たっこくのいわや)は、岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢(いわてけんにしいわいぐんひらいずみちょうひらいずみきたざわ)にある国の史跡だ。
達谷窟毘沙門堂は、延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂公の創建以来、一千二百余年の歴史を誇る護国の精舎で、その祭事を執行する別當の達谷西光寺は、翌延暦21年奥真上人によって開かれました。
みちのくを代表する古刹であり「達谷窟」として、国史跡に指定されております。
達谷窟毘沙門堂 別當 達谷西光寺 から引用
達谷窟毘沙門堂
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢16
0191-46-4931
ここに達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)がある。
説明看板。
拝観料が500円と知り、おばあ激怒。
平安時代造像の丈六不動明王像や北限といわれる「岩面大佛」(磨崖仏)があり、境内全域が史跡に指定されている。
延暦20年(801年)に征夷大将軍であった坂上田村麻呂が建立した。
東西の長さ約150m、最大標高差およそ35mにおよぶ岸壁がある。
達谷窟毘沙門堂は岩壁にめり込むように建てられている。
国の史跡に指定されている。
境内入口には鳥居が建てられており、神仏混淆の社寺となっている。
源頼朝も鎌倉への帰路に参拝したという古刹だ。
坂上田村麿大将軍の本地を毘沙門天と見なす『田村信仰』の発祥地とされる。
本尊は慈覺大師が刻んだと伝わり、秘仏とされている。
駐車場
車で毛越寺(もうつうじ)にやってきた。
駐車場はとても広い。
有料で300円。
境内
まず案内看板でルートを確認。
1時間て書いてるよ。
毛越寺庭園は面積39,336平方メートルあるそうだ。
参拝料は700円。
国の特別史跡、庭園は特別名勝に指定されている。
山門は1921年に一ノ関藩田村家藩邸の中門を移したものだ。
850年に慈覚大師が建立した。
1689年にここを訪れた松尾芭蕉は「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句を詠んだ。
自害した源義経を偲んで詠んだという。
昔はこのように伽藍が建っていたそうだ。
ここが南大門跡。
平安時代後期に奥州藤原氏二代基衡(もとひら)と三代秀衡(ひでひら)が金堂円隆寺、嘉祥寺など壮大な伽藍(がらん)を造営した。
堂塔四十、僧坊五百を数え、わが国無二の霊地と称されたという。
度重なる戦火で堂宇は焼失してしまった。
参拝
本堂。
平成元年の建立。
本尊は薬師如来(やくしにょらい)
平安時代の作だという。
大泉が池は東西約180m、南北約90m。
「毛越寺庭園」(もうつうじていえん)として特別名勝に指定されている。
開山堂(かいざんどう)
毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀る。
遺構
境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)として国の特別史跡に指定されている。
2011年に世界遺産に登録された。
嘉祥寺跡(かしょうじあと)
金堂円隆寺とほとんど同規模あるという。
講堂跡(こうどうあと)
1573年の戦火で焼失した。
平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されている。
金堂円隆寺跡(こんどうえんりゅうじあと)
藤原基衡(ふじわらのもとひら)が建立した。
遣水(やりみず)
平安時代の遣水の遺構としては唯一だという。
鐘楼跡(しょうろうあと)まで歩いてきた。
大泉が池になぜかお風呂の椅子が(笑)
おばあが今から入浴するそうです。
常行堂(じょうぎょうどう)
国指定重要民族無形文化財の「延年の舞」が奉納される。
1732年に再建された。
鐘楼堂(しょうろうどう)
常行堂はもともとここにあった。
東門跡。
観自在王院跡。
現在も発掘調査中。
車で先に進んだ。
最高点の標高: 111 m
最低点の標高: 25 m
累積標高(上り): 129 m
累積標高(下り): -174 m
総所要時間: 01:27:07